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上田正樹 悲しい色やね
前回の話の続き…二人のコックさんは、冬休みにまたバイトに必ず来いよと言ってくれて「冬に裸で野球はしませんからね」と言うと、無口なコックさんも大笑いしていた。
無口なコックさんは、アラキさん(仮名)といって巨人にいた篠塚選手(古い)に似ている。オーナーが有名なホテルからスカウトしてきただけあって、料理は本当に美味しかった。ただ、町中華なので、所詮はいつも同じ様なメニューで同じ様な注文を受けて、繰り返し作り、出す。
ホールのパートの人が言う「アラキさんも毎日同じ様なものばかり作ってさぁ、よく飽きないわよね」大きなお世話だ。メニューがそうなってるんだから仕方ない。だけど手伝っていて、そうは思う。
もうひとりの車好きのコックさんはナベさんといってパーマ頭でいつも私に命令調だ。
お客が入ってきて厨房の前を通り過ぎる一瞬を見て「あの人は五目湯麺と餃子」と予言する。そして「お願いしまーす、五目湯麺、餃子!」これがよく当たるのだ。彼は笑顔でゲームを続ける。次のお客が来る「旦那は焼肉、奥さんは冷麺」また当たった。私が「なんでわかるんですか?」彼は得意げに笑って「さあねぇ、いいから準備しろ」
そんな二人の会話をアラキさんは聞き終えると、煙草を消して笑みを浮かべて立ち、作り始める。いつも同じ様な注文の品を。
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アラキさんは無口で口下手だったが、週に一度くらいは怒られた。鍋が丁寧に洗えていないと「やり直し!」麺がきれいに器に入っていないと「ダメだよこれじゃあ」と言って、箸で麺を整える。
一番覚えているのは、シンクの横に食べ残しを捨てるコーナーがあって、ここにある生ゴミ受けの金属カゴを洗うのが私は嫌いだった。ある日、アラキさんは金属カゴをきれいに洗って私に見せ「目に見えない所が汚いものだ、そこをよく見てきれいにするように」とひとこと言った。私は一番イタい所を突かれた。
彼は野球の他には歌が得意だった。行きつけのスナックに私を連れて行き、馴染みのママさん達に迎えられた。
上田正樹 悲しい色やね
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そこで彼がよく歌っていた曲。大阪のベイブルース。彼の唄で知ったイイ曲。当時ヒットしていたのだと思う。
おれのこと好きなんか ♪
そんなこともわからんようになったんか ♪
彼が店の女の子とこの歌詞みたいなことを話していたような気がする。
彼の一人暮らしのアパートにも行った。ロフトにベットがあって羨ましいと言うと「暑くて寝れないよ」と言っていた。
彼は母性をくすぐる雰囲氣だし筋肉が凄かったので、たぶんお店の女の子にはモテていたと思う。実際あやしい遅刻や欠勤もあったし、顔にあざを作っていた日もあった。
一方、車好きのコック、ナベさんはいつもゴーホームだ。若くして結婚し子もいて「そんな金あるわけねぇだろ」が口癖だ。器用で物知りで賢く生き拔くタイプで、お金にルーズで人見知りなアラキさんとは真逆だった。「早く次の車買えよ、俺がイイ事いっぱい教えてやるからさ」車に限らずナベさんの話は生活に役立つネタが豊富で、彼と話すのは楽しかった。いつも私に命令調だが世話好きで本当は優しかった。
年末は忘年会続きで忙しかった。
オーナー夫婦、二人のコックと私、ホールの女性陣、皆で乗り越え年内最終日に店を閉めた後、そのまま店の中でお疲れ様会をした。皆はどっと疲れていたためかすぐに酔いがまわって、笑い合った。
すっかり家族的な店の一員になって私はいつぞやのロンリーでは、もうなくなっていた。
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それから数年後、私は社会人になっていて、お客としてよく店に行ったが、ある時、アラキさんが店に出勤しなくなっていてオーナーは困惑し切っていた。
彼は日本にはいなかった。
アジアのどこそこの国の女性と一緒だということだけわかっていた。厨房に行くとナベさんがひとりで調理していて「どうしたんですか」「おれにはわからねえ」
彼はこの歌のように夢しかないような男になったのかもしれない。毎日同じようなメニューをただ作る。10年先も20年先も同じメニューをきっと作る。そこに夢は見えなかったのかもしれない。
逃げたらあかん逃げたら ♪
せつなくなるだけ ホールドミータイト ♪
彼は逃げたんだろうか
同じ事の繰り返しから逃げたんだろうか
無口で独りの世界から抜け出して、唄のように旅立った。
この歌を聞くと、彼との時間が蘇る
子供みたいに野球勝負をして
大人みたいにスナックで歌った
今までのこと、海に流してしまうのか
今日で二人は終わりやけれど ♪
あんた、たったひとつの青春やった ♪
彼が繰り返し歌っていた、大阪のベイブルース
「目に見えない所が汚いものだ、そこをよく見てきれいにするように」
彼が言ったこの言葉は、その後の私のサラリーマン人生の様々な場面で、私を正しく導いてくれたと思う。
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