より良い勝ちを求め、負けに慣れる。

 子ども相手に遊んでいると時々、勝てないのはつまらないという理由で不正やラフプレー、相手への暴言に走る子どもがいる。中には自分が勝てる相手以外を遊びに入れず、井の中の蛙状態に自らをする子どもなんかもいる。ところで物理的に走る以外に走るって漢字を使うのって正しい?まぁそれはさておき。
 その度に勝ち負けのある遊びに身を置く事で、耐性が付くってのは絶対にあるだろうな。と思う。そんな話。

 そもそも勝ち負けにこだわるのは悪いことではない。やるからには何でも勝ちたいと思うのは当たり前の事だろうと僕は思う。
 ただ勝負ごとに身を投げ出すってのは中々子どもにとってはリスクを負う行動なのだろう。

 こんな子どもがいる。
 親子でポケモンカードをしている彼はカードの値段や情報にとても詳しい。さらに中々高価なコレクションを持ち出しそれを見せて回っている。
 「このカードは○○円で貴重なんだよ。」
その行為に賛否はあるだろうが、コレクションを自慢したい気持ちは分かるし、実際ほかの子どもからは、コレクションや情報に関して、凄いと褒められている。
 反面、ゲームそのものに積極的に参加しようとしない。
 勝手な推測だが、負けが込む事で、周囲からの〝すごい〟という評価が変わってしまうのが怖いのだろう。彼は他の遊びでも勝ち負けが付くことをとても嫌っている節がある。特に自分が勝てない可能性の多いものに関しては。
 彼はそこで勝つためにズルをしたり、ラフプレーで強引に勝つようなことはしない。1対1で勝ち負けが付く遊びに誘われても
「えへへへh」
 と流して去ってしまう。自分でも度々言っているが根っからの臆病らしい。勝てない事に対する恐怖がすごいのだ。

 この子のように逃げる事を覚え、上手に立ち振る舞える子だけではない。

 負けそうになると平気でズルをし、ばれるとワザとじゃないから!!!と逆切れをする子どもも少なくない。当たり前だがそういう子からは勝負事をするタイミングがどんどん少なくなっていく。前述の彼も、ズルをしてしまう子も、本質的には負けることに対しての嫌悪感からの言動だ。
 しかし自信があれば挑めるという心情と、そもそも勝負の機会をなくし続けるのは、その後の展望に大きな違いが出るように子ども達を見てて思う。

 心情は大いに理解できる。ある一定の時期まで僕は勝ちにこだわる子どもだったからだ。

 武道を子どもの頃からしていた僕の道場には周りに優秀な人間が沢山いた。全国大会にポンポンみんなが行く中、小さな市での大会ですら優勝までは届かなかった僕はひたすら勝ちにこだわり、ズルとまではいかないまでもかなりスポーツマンシップに欠いた試合運びをしていたように今思えば思う。
 小学生から中学生に、さらには学年が上がっていく中で、
「どう勝つか、負けるか」
 ってのを意識できるようになってから心なしか成績も上がっていったように思える。あの時見捨てないでいてくれた大人にマジ感謝。
 練習や大会で、小さな敗北や勝利をコツコツ刻んでいったことが心情の変化につながったのだと今過去の事を思えばそんな気がする。

 学年があがっていく過程で沢山の勝負事を経験してきた子どもは、勝ち負けそのものよりも他にこだわる部分が出てくる。
 ドッヂボールなどの集団での競技も、よりお互いの力加減が均等になるようにチーム分けを提案し、いい勝負をしようとしてくる。
 より良い勝ちの快感を求めてるのだろう。彼らは時に低学年やスポーツが不慣れな子に花を持たせるような行為もする。結果それで負けてしまっても彼らには価値のある負けなのだろうとしみじみ感じる。
 もちろんムキになって貪欲に勝ちたいと思う行動もすることがあるが、そういう貪欲さに付き合うのは僕らスタッフの仕事だろう。

 壁はなるべく高い方が超えた時に気持ちいい!!

 ってのを覚えた時に数字や勝ち負け以上の価値をなにかに見出してほしいなと日々感じている。

 学年が上がると学童ではそもそも高い壁になりうるものが少なくなってくるから、僕は壁であり続けたい。一生花を持たせるなんて行為はしないから正々堂々真っ正面から超えてみんさい。超えさせないから。

 そんな事を思いながら日々仕事をしています。

好きなどんぶりは何ですか?僕は鰻丼です。

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