13歳写真

《13歳の君が教えてくれたこと》

先日、実家に帰り、中学校1年生の入学直後書いたプロフィール帳を見ていた。うわ~、ピュアなこと書いているやついるわ。と思ったら僕だった。

ちなみに本物はこんなに直毛じゃないし目も細い。
そして顔が長い。

確かに僕は純粋だった。
名門校に入学するという新しい生活に胸を躍らせていた。

しかし、それは間もなく失望に変わった。

まず一つめの驚きは、何故か、みんな知り合い同士だったことだ。
「みんなはじめましてじゃないの?」
とても戸惑ったことをよく覚えている。

何故知り合い同士なのか、
それは、塾が同じだったからである。

僕は地方の小さい塾出身で、一人も知り合いがいなかった。
みんなは大手の塾で、少なくとも”見たことある人”は何人かいたようだ。

それでも友達ができた。

家に遊びに行った。2つめの衝撃を受けた。

玄関にめっちゃ下手くそな絵が飾っていた。

趣味わる~!と言ったら、《シャガール》という画家の絵で、シリアルNo.2と書いてあることを伝えられた。

なんのことかわからなかった。
数億円もの価値があると聞いた時に、
「この絵にそんな払うってなんなの?馬鹿なの?」と思った記憶がある。

行く家、行く家、僕の家よりも圧倒的にお金持ちだった。
自分が惨めに思えてきた。

もっとも衝撃を受けたことは、自分の頭が良くなかったと気づいたことである。

僕は小学校の頃、周囲と比べて圧倒的に勉強ができた。
友人は小学校5年生で掛け算ができなかった。
というか「3」をかけない人もいた。

近くの公園は ”シンナー公園” と呼ばれていたし、
中学生の先輩に呼び出されてバイクのターンを1時間見させられた。

今思えばバイクというより多分原チャリだった。
そしてターンというよりただの左折だった。

意味がまったくわからなかった。

そういう地域だったから、圧倒的に勉強ができた。

中学に合格した時、全然知らない先生から呼び出されて、

「お前は学校の誇りだ!」
と言われた。

よくわからなかったけど、僕は使命感でいっぱいだった。

そんな地元の星が、入学して初めてのテストの時、下から2番だった。
次のテストの時、頑張ってみたけれど、また下から2番だった。

「全然勉強してないわ~!」
と言いつつ、高得点を取り続ける友人たちをみて、
「そうか。自分は頭が良くなかったんだ!」

と思うようになった。

そこからはもう諦めた。

勉強が嫌いになった。

野球部のレギュラーを決める試合も補習で出れなかった。

学校にも行きたくなくなったけど、
たまたまそのタイミングで柔道を始めた。

退学しなかったらいいや。

勉強は嫌いなまま、大学に入った。
当然大学の授業なんて行かなかった。

はじめの2年間で一桁の単位数しかなかった。
友達もほとんどできなかった。

毎日一応家を出て漫画喫茶に通っていた。

その後ゲームセンターに行き、
ネット対戦のポーカーに明け暮れていた。

自分の人生は灰色だと思った。
すべてがつまらなく、くだらなく思えた。

社会に出たいなんて一ミリも思わなかった。
この世界に僕の居場所なんてないと思っていたから。

やりたいことなんてなにもないし、
特別な才能なんて何も持っていない。

そんなある日、暇つぶしに大学の授業に出てみた。

僕の人生の一つめの転機は、間違いなくこの瞬間である。
たった一つの授業が、僕の人生を変えた。

1年生向けの《経営戦略》の授業だった。

先生は言った。
「経営の世界に、一般解はありません」

僕はたじろいだ。

正解を教えられることが授業だと思っていたから。
それを正しくインストールすることが、勉強だと思っていたから。

正解がないんだったら、この人は一体何を教えるというのだろう?

先生はいきなり、化学式の話をはじめた。

《界面活性剤って知ってるか?》

その話から、花王の経営戦略は、どんな文脈に立っているかを話してくれた。
なぜヤシの実を使っているのか、和歌山に工場があるのは何故なのか。

最後にこう締めた。

《特定の文脈(コンテクスト)に基づいた、特殊解ならある。だから僕たちは学ぶんだ。》

先生がどんな授業をしたのか、
暗唱できるかと言われると全くできない。

しかし、この時、僕に初めて湧き上がってきた感情があった。

《もっと知りたい》

本当はこの世界に文系も理系もない。
化学と経営の話がつながっている。
自分がしょうもないと思っていた勉強も、
漏れなく、この世界を記述したものである。

宇宙が未だに広がっていることを知った。
今起きている戦争や紛争は、連綿と続く歴史の中にタネがあることを知った。
当たり前だと思っていた自分の考え方が、日本固有の精神に基づくものだと知った。

毎日知りたいことであふれていた。

僕の住んでいた世界は、色のない世界ではなかった。

むしろ、7色では足りないくらい彩りが鮮やかで、
なにかを知るごとにその色彩がきめ細かくなっていく。

そんな感覚だった。

きっと僕が生きる世界は、生きていく価値がある。

その時、心の底からやりたいことができた。

《会社を作りたい》
《0から会社を立ち上げて、その経験を以て、語りたい》

そう思うようになった。

そこから縁の積み重ねがあり、
教育の会社を起業をすることになった。

それは、勉強をできるようになるという教育ではなく、
《知りたい!やりたい!という意欲を育てる》
というものだ。

この世界の何かに興味を持ち、強い情熱を抱く。
そうすることで、自分は何者にでもなることができる。

ある時は、そうやって人生を切り開いた偉人の物語を語り、
ある時は、社会で起きていることに対する問題について語り合う。

東京都渋谷区に教室を構え、そんな授業を実践していた。

ある時、13歳の少年が訪ねてきた。

小学校5年生から学校には行っていないという。

初回の授業は、宇宙についてだった。

強い力
弱い力
電磁気力
重力

この4つの力を発見してきた歴史と、
これらを統一しようとしてきたチャレンジを紹介するような授業だ。

彼は早速興味を持った。

これらのチャレンジには、数学が重要だと言うと、
「数学を勉強したい!」と言い出した。

ずっと勉強が遅れているので、
小学校の範囲から遡った。

数学検定を受けて、3級に合格した。

しかし、そこで飽きた。

それでも引き続き宇宙のことは好きだった。

インターステラーという映画を一緒に見て重力について語り合った。

“合宿” と称して、夜通し《遠い空の向こうに》という映画を見た。
高校生がロケットを打ち上げる話だ。

一緒に銭湯に行き、僕たちが何を成し遂げたいのか。
夢、希望、どんな未来にしたいか。そんなことを熱く語った。

ついでに近くの銭湯 ”鶴の湯” のお湯もとてつもなく熱かった。

ロボットをテーマに扱ったら、ロボット制作の会社にインターンに行くことになった。
アートをテーマにしたら、彼は一流のアーティストに自分でアポをとって会いに行った。
和をテーマにしたら、次の週から和服を着てきた。

彼は長い間学校に行っていない分、常識がなかった。
だから思い切った行動も、平然とやってのけた。

ヒッチハイクで京都まで行ったり、
プログラミングで作った電子工作を作って持ってきてくれたりした。

僕は一つの思いが芽生えた。

“彼を一流のイノベーターにしてあげたい”

一方で彼の心は教室から離れていった。

教室には、社会に馴染めない子どもたちだけでなく、
本当に素直でいい子たちが増えていった。

意見が合わないと思ったのだろうか。
それとも学校に合わなかったことを思い出したのだろうか。

“同世代と話すのは苦手だ”と言い、
ディスカッションや意見交換、協働で何かを作る時間を拒否した。

ある時、見かねた仲間の講師が別室に呼び、少し強めに説得した。

・社会に出た時には、意見の違う人と対話することこそ重要である。
・もし同世代を見下しているのだとしたら、それは大きな間違いである。

僕も横目に見ながら聞いていたが、
心がこもっていたし、全く間違ったことは言っていない。
総じて一人の人間として素晴らしい対応をしたと思う。

しかし、次の週から彼は教室に姿を現さなくなった。

そして間もなく僕に「辞めます」と伝えた。

しばらくすると、彼のSNSから悲鳴が聞こえてきた。

息苦しい。
辛い。
大人なんて嫌いだ。

僕たちのことを言っているかどうかはわからないが、

胸に突き刺さった。

僕は暇を見つけて、彼と会うようになった。
アニメーションを作ってみたいと言えばアニメーターの方を紹介したり、
映画を見たり、美術館や博物館に行って様々なテーマについて語り合った。

彼は「なぜ人は生きているんだろう?」
とよく口にしていた。

「生きている意味って何?」
「死の中に自由ってあるんじゃないのか?」
「もっと自由になりたい」

問われるたびに、心が揺さぶられるのを感じた。

そういえば、何のために生きているのだろう?
生きるってなんだろう?

これらは、僕が大学に行きたくなかった時に思っていたことである。
そういえば、まだ答えを出せていなかった。

ある時、映画を見た帰りに、原宿の牛タンのお店でご飯を食べた。

その日、彼は生気がなかった。
話そうと思っても、言葉が出てこないようだった。
身振りで伝えようとするんだけれど、言葉が出てこない。

多くの時間、うつむいて過ごしていた。

「、、、もう、、、いいかな。」

彼はポツリとつぶやいた。

彼は、死にたいと言ったわけではない。
それでも、僕は何かを感じた。

何を感じたのかはもはや覚えていないし、言葉にもできない。

でも僕は怒った。
激しく怒った。

おそらく、彼に初めて怒った。

今まで、彼とは「なぜ」を追求するような会話をしていた。
そんな問いから組み立てながら、論理を大切にしていた。

しかし、この時は、そんなものどこにもなかった。

《とにかく俺が嫌だから死ぬな!》

ただただ、僕は感情をぶつけた。
この時、僕にはそれしかできなかった。

熱血ドラマなら、事態が好転しそうなものである。

しかし、全く響かなかった。
少なくとも僕にはそう見えた。

うつむき、怪訝な顔を見せ、
少し震えていたように思う。

僕は彼と世界の輪郭が少しぼやけるのを感じた。
か弱く、背景に溶けてしまいそうだった。

その後、何を話したかは覚えていない。
しかし、彼の心を動かすことはできなかった。

とにかく不安だった。

これで良かったのか。
これしかできなかったのか。

自分の力のなさを呪った。
情けない。

怒りの感情とともに、自分の過去を振り返った。

するとあることに気づいた。
僕は彼を見ているようで、見ていなかった。

「こうなって欲しい」
「こう考えて欲しい」

あるべき姿に彼を重ねて接していた。

彼には彼の感じた世界があり、
僕には僕の感じた世界がある。

“どうあるべきか” ばかりを考え、
”どう感じているか”をないがしろにしていた。

何が教育だ。
何がイノベーターだ。

教育本を読み漁り、どんな教育が良い教育か、
試行錯誤をそれなりに重ねていたと思っていた。

しかし、本当に大切なことは何ひとつわかっていなかった。
目の前の子どもに、「生きたい」と思ってもらうことすらできないのだから。

浅い。
浅い。
浅い。

なんて浅い人間なんだろう。

しばらく、彼と会う頻度は下がった。

自分への自信はもはや限りなくゼロに近かった。

そんな時、突然連絡があった。

「シェアハウスをします。パーティーに来てくれませんか?」

失礼な話かもしれないが、一瞬耳を疑った。

引きこもりがシェアハウスだって??
パーティーだって??

一体どういうことだろう。

とにかく二つ返事で「行くよ!」
と言い、会場へ向かった。

会場はシェアハウスする家で行われた。
「面白い人がいっぱいいます」
と言われていたが、そのはるか上を行っていた。

会場につくと、まず目に入ったのは、金のウンコをかぶっているオジサンだった。
テンションは低く、日本酒を飲んでいた。

僕は、ウンコをかぶりながらテンションを低く保てる自信がない。

そしてさらに、ビジュアル系バンドのカッコをしているマッチョの人がいた。
車椅子に乗っている女性の方や、女の子もいた。

な、なんだここは!??

正直、僕は気圧されてしまった。

彼は遅れて来る予定だったので、
僕は、その場で唯一話しかけられそうな少年に声をかけた。

僕「何歳?」
少年「15歳です。」

僕「普段何してるの~?」

少年「エゾシカの研究です!」

僕「、、、」

パーティー会場でエゾシカの研究をしている少年と会った時の会話の引き出しがなかった。

日本に何頭いるの?とか、天然記念物だよね?
なんでその研究してるの?

とか、めっちゃ薄っぺらい会話をして、大人の面目を保とうとした。

そこで彼の話になった。

少年「(彼)さんと一緒に車椅子作ったんです。わからないこととか、めっちゃ丁寧に教えてくれます。尊敬しているんです。」

どうやら、彼と同じインターン先でインターンをしているらしい。
意外だった。

しばらく歓談した後、円になっての自己紹介タイムになった。

ストレートに言うと、変人だらけだった。

余命三年のカメラマン
ホームレス歴◯年
占い師
ウンコマン
脳に管が通っている13歳の男の子
。。。。

なんだこれ。

まるで僕の知らない世界だった。

僕の月なみな自己紹介の後、
彼の番になった。

僕は心配だった。

長年彼と一緒にいるけれど、
彼が積極的に自己紹介したことなんて見たことがなかった。

彼は開口一番、こう言った。

「どうも~!小学生から引きこもりの、引きこもりエリートです!」
「今は、どこにでも連れていける、相棒ロボットを作っています!」

そう言ってポケットからロボットを取り出した。

会場は大いに盛り上がった。

沸きに沸いたし、
ウケにウケた。

パーティは夜通し続いたようだったが僕は終電で帰った。

電車はガラガラだった。

普段乗らない西武線。

気づいたら僕は泣いていた。

なんて言っていいかわからないけれど、
涙が溢れてきた。

良かった。
本当に良かった。

彼は、彼が彼でいられる場所を見つけたのだ。

7色の個性の中では、自分が何色だって構わない。

お互いが認め合い、
お互いが違う色だと認識できるのだ。

しばらくして、彼と”こども食堂”というボランティアに行った。
会場が、たまたま僕が激怒した原宿の牛タン屋のすぐ側だった。

「覚えてる?ここでめっちゃ怒ったの」
僕は聞いてみた。

「めっちゃ覚えてますよ」
彼は笑って返した。

「あの時から、変わったことが一つだけあるんです。」

「未だに、生きることは煩わしいと感じているんです。でも、、、

「死ぬよりはましかな。と思うようになりました。」

「そっか。」
僕は32年生きていて一番嬉しかった。

“教育” という言葉の語源は、”引き出す”というところからきている。
だとしたら、僕の定義は少し違うかなと思った。

“引き出す”というと、彼の生来持っているもの、というニュアンスになってしまう。

それは、僕が思う”教育”の中のごく一部である。

生まれ持っているものだけでなく、

彼が悩んだこと、葛藤したこと、苦しんだこと。
すべてが彼の一部であり、
すべてが彼の道になっていく。

最も重要なことは、
「自分が自分に生まれて、本当に良かった」
と思えることである。

自分の欠点も、生まれた環境も、苦しみも、すべてを愛せることである。
これらのことは、恵まれた人だけではなくて、”すべての人” に、必ず用意されている。

僕は、人生を通じて、それらを一緒に見つけたい。

“自分”という物語を、一緒に編むお手伝いをしたい。

僕は本当にやりたいことを見つけられた気がした。

13歳の君へ

君は、何度も苦しむだろう。

自分の能力のなさを嘆くことは、永遠に続く。

プログラミングの勉強を一瞬で諦める。
資格の勉強も向いてない。

電話一本で自分のなりたい職業になれる友達を目の当たりにし、
自分の生まれた家を呪うことだってある。

それから10年つきあった女の子を寝取られる。
悪夢をたくさん見るだろう。

結婚も遅いし、5年くらい恋愛していないかもしれない。
年収は周囲の友達の半分以下である。貯金も全然ない。

能力不足が祟って、自分の作った会社の代表を降りることになる。

でも、そのままでいい。

それらは、人生をフルコースで味わうためのスパイスである。

それがあったから、君は君なのだ。
きっと大丈夫。

それらをすべてを受け止められた時、
君は一番欲しかったものを、手にしているから。


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