見出し画像

墨田区の下町コミュニティこそ最高の教育だった

(写真は何の関係もないイメージです)

つい先日、墨田区のとある方に、イベントを開催いただいた。
60名くらいが集まってくれて、いつも通り楽しくイベントができた。

さて、驚異的なのはここからである。
二次会、三次会とほとんどの方が帰らなかった!

「ほぼ毎週どこかでは集まってますよ」

「このコミュニティには、パパLINEとママLINEがあって、声かけたら一瞬で集まるんですよ」

なんという結束力であろう。

そして、よく観察していると、お父さんとお母さんが、まるで1つの生き物のように見事に連携していた。

当たり前のように自分の子供ではない子供の面倒を見るし、注意もする。
もちろん自分の子供は自分で面倒で見るんだけれども、塩梅良く全体の統制もする。

話を聞いていくと、さらに興味深い話を聞くことができた。

「あのパパさん、自然系の雑誌やってるから、夏に昆虫教室やってくれたんです」
「うちのマンションで集まってみんなでボードゲーム大会やるんです」
「下町はだんじりの話になったら朝までだからね」

アートが得意な人もいれば、自然科学の知識が豊富な人もいる。
イベントを企画するのが得意な人もいれば、そこを円滑に回すのがうまい人もいる。

お父さん、お母さんのそれぞれが、自分の持ち味を出して、このコミュニティに貢献している。

このコミュニティは、生きている。

最高の教育システムがあるとしよう。

でも、そこに乗っかれない子供は必ずいる。

聴覚が敏感で、大勢でいること自体が難しい子がいる。
文字が立体的に見える子がいる。
集団の中ではうまく感情をコントロールできない子がいる。

このコミュニティには、きっと、そんな時に手を差し伸べてくれる大人がたくさんいる。

そんな風に感じた。

今、全国を回っていて、色んな"地域"や"コミュニティ"に呼んでいただいている。滋賀、大阪、千葉、埼玉、仙台、、、、

同年代だけでなく、異世代との関わりの中で子供が育ち、巣立っていく。

その中で大人は、一人一人が自分の強みを発揮し、活き活きと自分たちの社会を作っている。

もちろん、これは昔からある当たり前の「地域コミュニティ」なのかもしれない。

しかし、もし、教育というものが、”学力や能力を伸ばす” ためだけのものではなく、様々な生き方や価値観に触れ、自分の役割を発見し、強みを伸ばしていくためのものだとすれば、

この、”コミュニティ”や"つながり"こそが、最高の教育であると思う。

そして、この"コミュニティ"や"つながり"は、新たなフェーズを迎えている。

「地域」というものを飛び越えられるようになってきた。

東京で僕を呼んでくださったママさんは、ネットを通じたコミュニティのメンバーで、仙台や、さらにはタイからイベントに駆けつけてくださった。

先日大阪に伺った時は、九州から来てくださった方もいた。

20年以上前、《ポスト資本主義社会》の中で、ドラッガーは "つながり" や"コミュニティ" が資産になると説いた。

イヴァン・イリイチは、《脱学校の社会》の中で、学歴ではなく、自分の関心や趣味趣向に合わせて社会を再編成する必要性を説いた。

教育改革というと、"最高の授業" や"最強のカリキュラム"、"評価基準"などに目が行きがちになってしまう。もちろん、そこは大事だ。

しかし、僕はもっと広い枠組みで捉えたい。

子供達が生き生きと育つ "繋がり" や "コミュニティ" を、社会が、どう再編成していくか。


その未来に向かって、僕が、僕たちができることは何だろうか。

そんな毎日に身を焦がしたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?