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とんかつ三田 日吉店の話

揚げ物の妖精に呼ばれたのだと思っている。この世のどこかにいるはずの揚げ物の妖精が、ちゃんとキャベツを最初に食べるから意外にスリムな妖精が、あの日あの時わたしを呼んだとしか思えないのだ。

わたしは高校の終わりまで三重にいて、大学で東京、というか横浜に越してきた。慶應義塾大学のキャンパスは三田(東京都港区)や湘南藤沢(神奈川県藤沢市)など首都圏各地に点在しているが、わたしがギリギリ表から入学した経済学部の1,2年は、主に日吉キャンパス(神奈川県横浜市)に通うことになっていた。「なるべく寝ていたい」を筆頭にいろいろな理由があり、わたしはキャンパスにほど近い、「ひようら(日吉裏)」と呼ばれるエリアのアパートを借りた。3年時に目黒線が延伸し、3,4年が通う三田キャンパスに行きやすくなったこともあり、結局卒業までの四年間をそこで過ごした。

四年まるごと所属していたサークルはとにかく「密」を推奨するところで、活動が終わったあと一緒に食事をとることが多かった。だから、世間のイメージより金を持っていない我々が、単価が安く腹がいっぱいになり長居もできる店に集まってしまうのは、「習性」というほかない。蜜蜂が山吹に吸い寄せられるように、わたしたちは「とんみた」に誘われたのだ。春の花びらの香りではなく、炊かれた飯と油の匂いに。

3月26日。乗客のマスク以外は何も変わっていないホームを歩いていると、不思議と緊張感を覚えた。初恋の女の子に同窓会で会う感覚に近いのかもしれないが、初恋の女の子に同窓会で会ったことがない。2010年に卒業し、そこから二年ほどOBとしてたまに来訪する時期があったから、来るのは約九年ぶりだ。いま書いている小説に大学が登場するので、その参考になればと思ったのだ。

昼飯をとんみたにすることは事前に決めていた。バスを避けながら歩道をぷらぷらと歩き、「あのアパートまだある!」「おしゃれな文房具屋がつぶれてる…」などと感情を乱高下させながら春の「ひようら」を一周したあと、いよいよ本丸に向かう。13時過ぎだが行列ができているので、高校だか大学院だかの卒業式でもあったのかもしれない。なんの迷いもなく行列に加わると、通りすがりの学生らしき若者が、店外の張り紙をスマホで撮った。はたして撮るべきものなのかなと、何気なく見たその張り紙には、ニュートラルな明朝体でこう書いてあった。「当店は2021年3月31日をもちまして閉店させていただくことになりました」

とんみたの二階は、十二畳ほどの座敷になっている。「旅館」というより「実家」のバイブスが強いその空間は、故郷を離れて過ごす独り身のわたしにとって、上京してはじめて出来た居場所の一つだった。下味のしっかりついた唐揚げをもぐもぐと噛み、知り合ったばかりのサークルの先輩や同期と一語ずつ会話を進めるなかで、わたしはここにいていいのだと実感できた。長方形のローテーブルの端にある、年季の入ったボトル入りのとんかつソースをキャベツにかける先輩を見て、わたしも真似した。その次の年、そうするわたしを見て後輩が真似した。

初めて来たときから唐揚げばかり頼んできた。たまにとんかつやハムカツに手を出すこともあったが、二口目には後悔していた。だから一時間ほど並んでやっとカウンターに座り、唐揚げ定食を頼んだ瞬間に「これで唐揚げ終了でーす」のコールが店主から聞こえたとき、わたしは今日「呼ばれた」のだと思った。唐揚げの味も、味噌汁の具も、なにを考えているのかわからない男性店主も、店主との関係性のわからないフロアの女性店員も、厨房に貼られた各年度の「衛生重視店」的なステッカーも、15年前と変わらなかった。だが、わたしのおかわりの量は減り、ステッカーの年度は令和になっていた。

百回は通った店だが、どの店員とも話したことはなかった。だから最後も無言で、完食という結果と「ごちそうさまでした」だけで去ろうとした。でもやっぱり、それはもう違う気がした。

「大学時代、よく通ってました」わたしは会計時、女性店員に話しかけた。閉店を先程知ったことを伝え、長年の愛顧を感謝され、わたしからも感謝を伝えた。店を出るときの、店主の「あっりゃとやしたあー!」はいつも通りだった。

わたしは外で帽子をかぶりながら、最後に言った言葉が「ごちそうさまでした」だったか「お疲れさまでした」だったか、忘れている自分に気づいた。でも、どっちも言えたことは確実だったから、とりあえず駅の方向にまっすぐ歩いた。

次回の更新は4月3日(土曜日)です。

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