粗大太郎の話

カリフォリニア州コンプトンは、ヒップホップの「聖地」として有名だ。映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』の題材になったN.W.Aだけでなく、ヒップホップアーティストとして初のピューリッツァー賞を受賞したケンドリック・ラマーもこの地の出身である。

この街のある場所に、ひとつのグラフィティが描かれている。もはや壁画と言っていいほどに緻密な筆致で描かれたその絵の題材は、ケンドリック・ラマーその人である。フードを被り、マイクを握ってラップを放つ彼の姿の右には、あるメッセージが巨大な文字で書かれている。BEAT THE ODDS―予想をひっくり返してやれ、という意味だ。

コンプトンはいわゆる犯罪都市だ。犯罪発生率はアメリカのなかでも高く、貧困も大きな問題となっている。そんな街で生まれた者は大した人生を歩めない、成功なんてできない、ギャングにでもなるしかない、それがTHE ODDS(予想)だ。街から、大人から、果ては仲間たちから伝播する無力感を蹴散らして、自分で自分の運命を切り開いてやれ。そんなメッセージがこの壁画に込められているのである。

さて、粗大太郎である。粗大太郎の話をしたい。東京都の粗大ごみ収集受付センターのホームページの申込者氏名記入欄、その記入例として挙げられているのが「粗大太郎」である。わたしは、彼の運命を案じてやまないのだ。

全国のありとあらゆる記入例に「○○太郎」もしくは「○○花子」が存在する。「渋谷花子」や「那覇太郎」はまだいい。だが「粗大太郎」はどうだろう。予想どころか、生まれながらの粗大を「宿命」づけられた彼は、いったいどんな人生を歩めばいいのだろうか。

粗大太郎の生家は、粗大ごみ収集を生業としていた。東京都民が出す粗大ごみを日夜収集し、適切な方法で処分する仕事だ。先代が亡くなって以降、その息子、つまり太郎の父は業務改革に取り組んでいた。OA化を推進して情報共有の無駄をなくし、残業や休日出勤を禁止してワークライフバランスを重視し、育休や産休制度を確立して従業員の安定した暮らしを応援した。その結果、利益は上昇し、経費は削減され、離職率が下がった。結果、「ホワイト企業」との評判が広まり、優秀な人材を集めやすくなった。この会社はますます大きくなる、いずれ息子の太郎に……はっきりと口にはしなかったが、父はそんな思いを胸に抱いていた。

ある日のことだ。太郎の高校の三者面談の帰り、「ちょっと寄り道するか」と父は太郎を海に誘ったのだ。太陽は半ば沈んでおり、灰色のはずの砂浜すら濃い橙色に染まっていた。二人で海を眺めながら、心地よい沈黙を楽しむ。「この海が綺麗なのもな、おれたちがちゃんとゴミを処理してるからなんだよな」父がそう言ったあと、太郎は意外な返事をした。「おれ、将来はラッパーになりたいんだ」父には返す言葉がなかった。

その日から父は悩み続けた。どうすれば太郎の気持ちを変えられるのか、そればかり考えていた。先祖代々続いたこの家業を、自分の代で途絶えさせるわけにはいかない。なんとかして太郎を説得しなければ。なんとかしてラッパーの道を諦めさせねば。どうすればいいんだ。どうすればいいんだ……!

しかし、太郎の意思は固かった。生半可なものではなかった。彼の目は、自分で自分の運命を切り開こうとする者の目だった。「粗大」姓に生まれた自分、自分で選んでいない名字に縛られる自分、家業を継ぐ運命にある自分、そういう自分を拒絶し、自らの選択によって人生を歩もうとしていた。何度話し合いをしても折れない父に嫌気がさし、太郎はある日、家を飛び出した。

数年が経った。太郎は「SO-DIE」の名でラッパーとしてデビューしていた。あらゆる音楽、とくに誰も見向きもしなくなった廃れた音楽を雑多に吸収し、独自のセンスでまとめ上げた楽曲で、若手シーンの注目人物となっていた。その歌詞は、環境問題を取り上げたものが多かった。

太郎が家を飛び出して以来、父は連絡を取っていなかった。ハイフンの入力の仕方がわからない父は、Youtubeで「そだい」と検索することを日課としていた。膨大にアップされた「粗大ごみの出し方」動画のなかに、太郎のラップ動画がちらほらと見つかる。何度も検索しているうちに、粗大ごみよりもラップ動画のほうが検索結果の上位に来るようになっていた。それが太郎の人気上昇を意味することも知らずに、父は「こりゃ探すのが楽だ」と喜んでいた。

次回の更新は、11月2日(土)です。

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