「すわ」と「果たせるかな」の話

問. 一度は使ってみたいけどなかなか使う機会のない単語「すわ」と「果たせるかな」を使って、ありふれた日常を描いたエッセイを書け。ただし、400字以上1000字以内とすること。

昨夜、風呂上がりに炭酸で割ったキウイエードを飲んでいると(おしゃれでしょう?)、突然iPhoneが震えた。23時23分。なんとなく不穏な時刻である。「すわ、誰かの訃報か」と背筋を冷やして画面を見ると、デビットカードが使用されたという通知であった。

「残高が直で減っていく残酷さを味わいたい」という理由で、オンラインの買い物は大抵デビットカードを使用している。だから使用されたこと自体は問題がないのだが、気になるのは使った覚えがないということと、8,220円という絶妙に痛い金額である。「すわ、番号が漏れたのか」と、この数分間に二回も「すわ」を使う羽目になったのか、もう今年の「すわ」の備蓄がないぞと思いながらも、わたしは必死で頭を働かせた。

風呂上がりとパジャマとキウイエードですっかりリラックスモードであったわたしだが、ない知恵を働かせて結論を出した。これはたぶん、なにかのチケットが当選したのだ。その購入確認メールは削除してしまい、かつウェブサイトには「当選発表をお待ち下さい」とあるが、主催者発表のチケットの金額に、オフサイドのルールと同様、何度聞いても仕組みを理解できない手数料を予測して加算すれば、ぴったり8,220円となった。これだ。これに違いない。わたしはそう思うことにして、ニール・ヤングのライブ盤を聞きながら寝た。

果たせるかな、それはチケットの当選であった。今日の昼過ぎに当選報告のメールが来ていた。

たしかにこれで一件落着だ。だがわたしにはひとつ、どうにもひっかかっていることがある。それは昨夜の「すわ」時、わたしはすこし興奮していたということだ。厳密に言えば、自分の生を自分で操縦している感覚があった。

思えばこの一ヶ月強、わたしは、というよりわたしたちは、常時「すわ、コロナか」という緊張状態にあった。街で咳をした人がいれば離れ、わが体温が少しでも上がれば会社を休んだ。そんななかであのいっときは、「すわ」が「すわ」を追い出し、ある意味でわたしは、生を楽しんでいたのだ。必死でメールを検索し、何度も電卓を叩いていた時間、あのウイルスのことは頭になかったのだ。

罪のない人が世界中でバタバタと死んでいる。そんな状況に、並の人間が耐えられるわけがない。ガスが止まるのはまだ先だが、ガス抜きをしないとすぐに破裂してしまう。あなたもわたしも疲れている。この状況で正気を保っているだけですごい。いずれ収束したら誰かと思いっきり抱き合って、濃厚接触をしてやりたい。

得点: 0 (字数オーバーのため)

次回の更新は4月11日(土曜日)です。

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