「局」の話

実家には昔、「局」と呼ばれる場所があった。「つぼね」ではなく「きょく」と読む。「局行ってくるわ」「局に置いとき」といった台詞が実家の至るところで飛び交っていた。その局はもうなくなり、家庭の事情が変わった関係で、わたしには実家がもう一軒生まれた。

最初の実家には昔、「局」と呼ばれる場所があった。局とは郵便局のことである。どうしてそうなったのかは知らないが、使われなくなった郵便局が我が家の資産となっていたのだ。わたしは局で遊ぶのが好きだった。

局の建物の広さは、だいたいコンビニ二件分といったところだろう。建物には郵便局の名残があり、ガラス製の窓口によって二つに仕切られていた。その二つのうち「事務所」の側には、確実に有害なレベルでカビを含んだカーペットが敷き詰められ、乳母車や子ども用の室内ブランコ、その他用途のわからない布などが適当に置かれていた。就学するかどうかの頃、乳母車の近くで自動車の絵本を眺め、「べーえむべー」などとはしゃいでいたことが記憶にある。また小学校低学年の頃、友達数人とミニ四駆の改造に勤しみ、カッターをライターであぶってボディを切る、という作業を行っているときになんらかの化学物質が発生し、その匂いに危険な魅力を感じたこともある。傍から見たら阿片窟のようだっただろう。

その他、局の敷地内には駐車場、倉庫、小さな畑があった。わたしにとって局は、家でありつつ家でない、免税店や保税倉庫のように少しだけ地上から浮いた存在だった。だから飼っていたハムスターが死んで、家や公園ではなく局の土に埋めようと祖父が提案したとき、ストンと腑に落ちたのだと思う。家では近すぎ、公園では遠すぎると、小学生の無意識で感じていたのだろう。

局との思い出は、だいたいその頃から更新されていない。局には電気が通っておらず、遊びのほとんどがテレビゲームになったわたしにとって、魅力のない存在になってしまったのだ。

その局もいまはもうない。大学生で上京し、年に数回地元に帰る立場になってから、どこかのタイミングで見たら更地になっていた。

いま、あの乳母車のことが妙に気になっている。おそらくわたしが生まれた前後に我が家に来たあの乳母車は、ほとんど日の入らない局の中で日々を過ごし、その間たまにわたしの成長を眺め、数十年ぶりに日を浴びたと思うと自身の廃棄と局の解体が待っていたのだ。

局がすなわちわたしの乳母車だった、などとは思わない。あそこは単なる遊び場であり、いまや砂利の敷かれた駐車場になり、その下では死んだハムスターが微生物で解体され土の一部になっている。ただそれだけの話だ。

次回の更新は5月16日(土曜日)です。

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