友だちを家に連れてくる話

小学生の頃、毎日と言っていいほど友だちを自宅に連れてきていた。人気者だった、というのとはすこし違う。わたしがただ、さみしがりだったというだけだ。

共働きの家庭に生まれ、同居する祖父母はわたしの弟の世話で忙しかったため、放課後のわたしは常に孤独だった。完全に一人ならまだしも、家に人はいるのに遊べないということが、わたしのさみしさを加速させたのかもしれない。わがままを言ってかまってもらうこともできただろうが、障害を持つ弟の世話を邪魔してはいけない、という思いがあったような気もする。

だからとにかく、友だちと遊ぶしかなかった。できるなら友だちの家に行くのではなく、友だちを家に呼びたかった。そのほうが、自分が信頼されている感覚を得られるからである。

放課を告げるチャイムが鳴り、学校を出て右、同じ方向に家がある同級生たちと束になって帰宅する。そのときにはもう、わたしの勝負は始まっている。

わたしは昨日観たテレビの話、学校の先生の悪口、受け売りの怪談などを隙間なく話しつづけることで、なんとか「こいつともっと過ごしたい」と思わせようとした。もっと直接的に、所有するゲームソフトの面白さについて話すこともあった。どちらにせよ、それはプレゼンだった。わたし自身の魅力を、そして、わたしの家で遊ぶことの楽しさを伝えるためのプレゼンだ。

それぞれの通学路は、いくつかの角で分岐していく。その角に近づくにつれ、わたしの話は熱を帯びる。そしてその熱を引力にして、ある友だちにとっては最短の帰宅路ではない、たとえば堤防につづく道を選ばせる。そう、わたしと過ごしたいという思いが、彼の帰宅路を変えたのだ。このような小さな勝利を積み重ねて、家にたどり着かせるという大きな勝利を得ようというのが、わたしの魂胆であった。

いま考えれば、ひどく非効率なことをしている。学校を出る前に友だちと約束をしておけば(あのときの語彙では「予定」ではなく「約束」だった)、こんな緊張と不安が避けられないようなやり方をする必要はなかったのだ。それでもこうしたのは、友だちが自分の話に夢中であるということが、当時のわたしにとって最大の承認だったからだろう。

しかし、そうまでして家に呼んだ友だちも、夕方には帰っていくのだ。そしていまでは、そのうちの誰とも交流がない。ならば、わたしの努力はすべて無駄だったのだろうか。

そんなことはない、ということがいまならわかる。たとえみんなの記憶が薄れようとも、あのにぎやかな時間が、過去に存在したことには変わりない。それで十分だと思う。

次回の更新は3月28日木曜日、正午です。
(4月1日〜5日は春季休暇をいただきます)

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