昔ジーン・ケリーだった話

都内は雨である。上昇気流によってできた雲粒どうしがぶつかって合体し、それを繰り返して次第に大きくなっていき、自身の重みに耐えかねて落下していくうちに雨粒に成長し、地面に落ちる。それだけのことなのに、どうしてこうも気分が暗くなるのだろうか。

どんなに嘆こうと避けられないなら、いっそ雨を楽しんでやろう。その思いで色んなものを買ったが、とくに芳しい結果はもたらさなかった。虹の柄の傘を買っても、街で目立つだけだった。「日本野鳥の会」ブランドのかっこいい長靴を買っても、びしょ濡れのそれを履いて屋内にいるのは気が引けた。前に勤めていた会社の昼休み、ギリギリまで外にいたくて雨の降りしきる公園の大木の陰に座り、葉と葉のあいだから落ちてくる雨粒を虹柄の傘で受け止めていたわたしの姿を見た人がいたら、「よっぽど会社にいたくないのか」「雨の日の妖怪なのか」と怪しんだことだろう。

『雨に唄えば』というミュージカル映画がある。雨の日に屋外で唄う映画である。主演のジーン・ケリーが傘も差さずにスーツ姿で踊りまくる場面は、映画本編を観たことがない人にも知られている、屈指の名シーンである。しかしこれは、「風邪をひかない」という自信の産物である。睡眠時間が足りていたり、ビタミンCを日々摂取していたり(ゴーヤなどで?)、家に帰ったらすぐ着替えられる環境があったりするから可能なのだ。わたしも土砂降りの雨のなか、この場面を思い出して踊りたくなることがあるが、家までの歩行距離と、自身の風邪を引くスピードを天秤にかけていつも諦めてしまう。単純に、通報されるというリスクもある。

思えば子どもの頃は、いまよりも雨を楽しんでいたように思う。

わたしが小学生の頃、放課後に雨上がりの校庭で遊んでいたときのことだ。ふと思いたち、巨大な水たまりに果敢に飛び込むと、校庭の土が溶けた茶色い水が四方に飛び跳ねた。当然、わたしの服やズボンが汚れた。普段なら「やばい、怒られる、もうやめよう」と考える気の弱いわたしであったが、その日は違った。「どうせ怒られるならどこまでも行こう」とばかりに、当時も平均を上回っていた体重を水たまりにぶつけ、泥水を全身に浴びせまくった。

ジーン・ケリー度でいえば、いままでの人生でそれが最高だったと思う。わたしは親に怒られることも、風邪をひくことも、学校からの20分の帰路をびしょびしょのまま歩く羽目になることも恐れず、これからも明日もなくただ「いま」だけに集中していた。

あの頃のように、無我夢中ではしゃいでみたいと思うことがある。ただ、すっかり大人であるわたしは、風邪をひくことを恐れてしまっている。予定だってあるし、治るのだって遅くなっている。どこか家の近く、風邪をひかない距離でそれができればと願っている。もしそんなわたしを見かけても、通報だけはしないでほしい。

次回の更新は4月11日木曜日、正午です。

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