電車での別れ際の話

あまり褒められたことではないのだが、ついついある光景に目が行ってしまう。電車内にいた、わたしと面識のないあるグループのうち一人が電車から降りたときの、残されたメンバーの反応である。それが怖くてしかたないのだ。

まずは、四人以上のグループで、そこから一人が抜ける場合を考える。わたしの胸に浮かぶのは、「いま抜けたひとの悪口を言いだしたらどうしよう」という不安である。いや、そもそも無関係だし、言い出したところでどうしようもないのだが、いま眼前でひとつの関係が「虚構」だと判明することが怖いのだ。

たとえ悪口を言い出したとして、抜けた一人が他人のわたしから見ても鬱陶しいやつであれば、まだいい。だが、その一人が人の良さそうな見た目で、抜ける前は問題なく集団に馴染んで見えたりする場合は、とても悲しい。「あの人、いい人だけどつまんないよね」などと誰かが言ったら、わたしはもう人間を信じられなくなるだろう。

次に、三人のグループだ。これが曲者である。数学においてはどちらも自然数かつ素数であり性質も似ているが、人間関係において「2」と「3」は根本的に違う。

皆さんも経験があるだろう。A、その友人B、Aにとって初対面である「友人Bの友人」Cの三人でカフェに行く機会があり、Bがお手洗いなどで中座したときのことだ。Aは、突然に重力がなくなったかのような心もとなさを感じる。とりあえずはBの話題で茶を濁すが、それにも限界がある。「早く帰ってこいB、Bよ!」という心の叫びは届かず、ただコーヒーの減りが速くなるだけだ。

電車内はこれより難易度が高い。Bはもう駅に降りてしまい、戻ってくることがないからだ。あなたが嘘をついて途中の駅で降りようとしても、「どこ住んでるんですか」トークはもう済ませてしまっている。山手線の電子公告に映った綾瀬はるかを二人で見て、「やっぱかわいいですね」とでも言うしかない。わたしは、そんな光景を見るのが怖いのである。

最後に、二人が一人になる場合だ。覗いているわたしは、不思議な立場にある。親しい間柄でも見せないような表情を、まったくの部外者であるわたしが目にすることになるからだ。

残された一人の反応は、「やっと帰った」と「ああ帰っちゃった」の二つに大別される。もちろん、わたしが見たくないのは前者である。あんなに仲良さそうにしてたのに、あんなに尊敬の念を見せていたのに、友達や上司が電車を降りるとすぐ「やってらんねえぜ」みたいな顔でスマホに向かうのだ。さらに言えば、この「やってらんねえぜ」が早い人がいる。別れてすこし経ってから発動するべきであり、「駅の階段が混んでいたりして相手がホームに残っていたら、その顔が目に入るぞ」と、わたしの老婆心が目覚めてしまう。

しかし、わたしが唯一「見てもいい」と思う別れ際がある(見る資格はないのだが)。一人残され、「ああ帰っちゃった」と思いながら、その寂しさを抑えるためにスマホに向かう光景だ。あのときのスマホには趣がある。ボヤーっと光を放つそれが、俳句箋のように見えてくる。

人のことをじろじろ見るのはよくない。よくないが、この癖は治りそうもない。

次回更新は2月18日月曜日、正午です。

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