『MANIAC』の話

Netflixオリジナルドラマ『MANIAC』を全話観た。「リミテッド・シリーズ」と冠されたこの作品には、続編がないことが予め決められている。今日は結末や核心に触れることなく、この作品の魅力を伝えてみたい。

舞台は、とある製薬会社の実験室である。アニー(エマ・ストーン)とオーウェン(ジョナ・ヒル)をはじめとする数人が、精神疾患用の新薬の治験のために集められる。被験者たちはA・B・C、それぞれに効果の違う三種類の錠剤を飲まされ、GRTAというAIに接続され、現実を奇妙に反映した幻想の中に没入する。本来は被験者がそれぞれ独自の幻想に没入するはずが、なぜかアニーとオーウェンは同じ幻想を共有していて…。

しかしこの作品の魅力は、あらすじの外にある。文章化を拒むような視覚的な美しさが、この作品のすべてだとわたしは思う。

まず、アニーとオーウェンが体験する幻想だ。

二人はあるときは80年代らしきアメリカの夫婦となってリスザルを盗み、またあるときは50~60年代らしきカップルとなって『ドン・キホーテ』の未発表の続編を盗む。これらは幻想であり、フィクションであるが、彼らの友人など現実世界の登場人物も姿と役割を変えて登場する。例えば、製薬会社の担当者が、幻想の中では「動く死体」として頭に電極を被されている。

これらの幻想はもちろん、彼らの無意識の産物である。彼らの過去や願望や罪悪感が、幻想の展開を左右している。とすれば観客は、彼らの無意識を覗くために、映像の「意味」に集中しなければならないところだが、そうはならない。彼らの「心の闇」は極めてシンプルであり、作品の冒頭で簡潔に説明される。だからこそリラックスして、その映像美に酔えるのである。

次に、GRTA本体の美しさである。

GRTAは女性のAIであるが(その正体は後半に明かされる)、ただのソフトウェアではなく、ハードウェアである。非常におおざっぱに説明すれば、彼女は電卓アプリではなく、電動のそろばんなのだ。実験室の隣の、淡いピンクに塗られた部屋全体が彼女である。そんな彼女が「感情」をあらわにするとき、壁一面に整然と、数百は並べられた小さなパネルが点滅する。一枚一枚は「白く光る」か「消える」の二つの状態しかないそれが数百と並べられ、順々に光り、消えていくことで「絵」が作られ、流れていく。うがった見方をすれば、それは突き詰めれば脳内物質の分泌の有無でしかない、人間の感情のメタファーなのかもしれない。

最後に、ソノヤ・ミズノである。

あらゆる関係者に対して申し訳なく思うが、わたしにとって『MANIAC』は、彼女を観るための作品だった。それほどまでに彼女は美しい。オカッパに丸メガネ、白衣にパンツルックという極めて地味な衣装であったが、彼女の美しさがそこから漏れまくっていた。とくに、その動き。タバコを吸ったり、GRTA向かって歩いたり、それらのなんでもない仕草が、いちいち美しくて飽きることがなかった。ダンスこそしていないが、踊っているようだった。

『MANIAC』は全10回、一話は30分程度の長さである。ぜひ、ソノヤ・ミズノのためだけでいいからご覧頂きたい。話もおもしろいし。

次回の更新は11月28日水曜日、正午です。

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