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IKEAの説明書に人生を見た話

2020ユーキャン新語・流行語大賞は「3密」に決まった。もちろん異論はない。異論はないがこれはあくまで、「新語」という評価基準での受賞だ。本当の流行語は読者諸兄も納得してくれるだろう、「なんかもう疲れた」である。

なんかもう疲れた。錆びた金属を触ったあとのような微細なとげに毎日毎日傷められ、泣くほど痛くもなく、さりとて無視もできず、ただ日に日に蓄積していくそれを情報というピンセットで抜いたり(主に富嶽の画像)、肌を温めてふやかして自然に抜かせたり(こんなときでも紅葉は美しい)、どうにかこうにか誤魔化して過ごしているが、なんかもう疲れた。疲れてきたし、疲れている。

原宿にIKEAができた。わたしは親しみを込めてこの店を小IKEA(こいけあ)と呼んでいるので、よければ真似してほしい。あくまで小IKEAだから、品揃えのメインは小物である。小物。なくてもいいもの。けれどもあればすこしだけ楽しいもの。わたしはともすれば提供:国立感染症研究所の写真のようにモノクロになっていく生活に色が欲しくて、小IKEAで小物を買ってしのぐ。北欧だから色はビビッドだし、渋谷が近いから店員はギャルだ。わたしはこの店に、マスクをせずに入ったことがない。

500円ぐらいの木製の小物入れを買い(小物入れという小物だ)、マキタの電動ドリルで組み立てる。組立プロセスは「3」までしかなく、イラストと矢印のみで言語は一文字も書かれていない。もちろん、だから安い。全世界共通の内容とパッケージと説明書だから、さらには組み立て式で在庫時に場所を取らないからこんなにも安い。ねじをはめてドリルを回すと、船便に耐え残った木の匂いと、ドリルのモーターの焼けた匂いが混じる。こんな匂いのことなんて、「3」までのどこにも書いていなかったが。

夢をもて、目的をもて、やれば出来る 
こんな言葉に騙されるな
何も無くていいんだ。 
人は生まれて、生きて、死ぬ 
これだけでたいしたもんだ。

という一編が『ビートたけし詩集 僕は馬鹿になった。』に収録されている。生まれて生きて死ぬのだから、これも「3」までしかない。ただ今は、この明快さをそのまま愛せるほどの体力がない。それにやっぱ寒い。

だからわたしには、匂いが必要なのだ。木とモーターが混じったような匂いが、ざっくり言えば「具体性」が。だから人生の「1」の枠外で起きているはずの、例えば産科の病院の庭には楓の木があって、そこから漏れる陽光が病室の母の黒髪をまばらに染めたとか、そういう具体性だけが寄す処なのだ。

今年はなにもしなかった。これも流行語の一つだろう。が、そんなはずはない。抽象化するからいけない。具体的には初挑戦の鰤大根に成功したり、中古でいいコートを手に入れたりしたはずだ。なにもしなかったとつくため息は確実に、いまの空気からできているのだ。

と、ここまで書いたわたしは、「原宿だから店員はギャルだ」を削りたくなってきている。だがそれは、具体的な事実だ。文脈上必要はないものの、「ギャルじゃん」と感知したわたしを残したいから、やっぱりそのままにしておく。

次回の更新は12月12日(土曜日)です。

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