鼻くそ食べてる!の話

異常事態である。あまりにも長く、不安で、先の見えない非常事態である。なぜ「生きてるだけで偉いですね」と誰も言ってくれないのか。せめて会社の幹部くらいは、「こんな状況の中毎日出社していただき、本当にありがとうございます。あなたのおかげでこの会社は維持できています」という言葉とともに、多少の金一封でもよこしてほしい。いや、金だけでいい。会社と国からは金が欲しい。一方で、二十代後半で笑顔が素敵なワンピースにハイカットを合わせるような女性(aka わたしのタイプ)にはただ、ワンピースとハイカットのあいだから白い脚をのぞかせながら、わたしをぎゅっと抱きしめてほしい。しかしこのご時世、あらゆる接触は避けるべきとされている。ではなぜ、いつも空いている馴染みの古本屋が閉店に追い込まれ、数十人を部屋に集めて緊急ミーティングをするような会社がのうのうと開いているのかと言えば、後者が「いいコマ」であるからにすぎない。もちろん、強者にとってのコマだ。なんの工夫もないが汚い言葉を吐きたい。FUCK!

と、まあ、こんな事態である。こんな事態であるのに、わたしはこの一週間の間に、山手線の車両内で公然と鼻をほじる大人を二人も見ているのである。

一人は三十代くらいの男性であった。メガネをかけたその男性は、あろうことか不織布マスク(アベノデハナイマスク)を下にずらし、鼻をほじっていたのだ。これは衛生学や医学への、そしてマスク不足に苦しむ全国民に対する裏切りである。せっかく防火服を着て火事場にいるのに、それを脱いで屁をするような愚行である。彼の不健康を祈ることはしないが、せめて、その辺のおっさんにめちゃくちゃ怒られるくらいの事態は起きてほしい。

もう一人はなんと、二十代後半くらいの女性であった。ワンピースにハイカットが似合いそうな、笑顔の素敵な女性であった。彼女は微笑みながらスマホをいじったあと、急にソーシャルからプライベートに精神状態が移行したのか、まるでここが家であるかのようにしっとりと鼻をほじりはじめた。このときのわたしの感情は、驚愕というより失恋に近かった。女性と抱き合って別れたあと、自分の服の肩口に鼻くそがくっついていたのだ。もしや、おれが無意識につけたのか?と疑いたくとも、その位置にはどう頑張っても己の手が届かない。

さらに追い打ちをかけるような出来事が起きた。まるでケンタッキーフライドチキンを食べたあとにやるように、彼女はその汚染された指をぺろっと舐めたのである。

おそらく彼女は、子どもの頃からそうしてきたのだろう。雨の日も、雪の日も、友達とはじめてマックに行った日も、大学の卒業式があった日も、彼女は鼻をほじりつづけてきたのだろう。あの頃の未来がこんなだなんて、誰も想像していなかったはずだ。

鼻をほじる人を見て、「きったねー」と笑っていたあの頃が懐かしい。アルコールスプレーでカサカサになった指はもう、鼻に入ることを許されないのだ。彼女がいまでも、元気に過ごしていることを祈る。

次回の更新は4月25日(土曜日)です。

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