成人式の思い出の話

最初に断っておくが、とくに思い出はない。「成人式なんてくだらねえよ」と思うほどには尖っておらず、「あの頃飲めなかった酒を飲み明かそうぜ」と同窓会の発起人に立候補するほどには熱心でなかった。ただ同調圧力に負けて出席して、同窓会に行かずに帰ってきただけだ。

わたしは女性でもないし、かといって北九州の男性でもないので、成人式の衣装にはこだわらなかった。わたし自身は「大学の入学式と同じでいいや」と思っていたのだが、両親のモチベーションが妙に高く、国道沿いの紳士服店に連れて行かれた。そこでわたしは、桜っぽい柄のネクタイと、フォーマルすぎないジャケットとパンツを買ってもらった。大学の冬休み、わたしが帰省中のできごとだ。

冬休みが終わり、東京に戻って数日間大学の授業に出た後、成人式のためにまた帰省した。式当日は、朝から曇天だった。雲ひとつなかった可能性もあるが、今ではその日の心模様と空模様の区別がつかない。そう、わたしは緊張していた。旧友との再会の喜びがかすむほどに、再会そのものに対して緊張していたのだ。

わたしの出身は「市」ではなく「町」であるから、成人式もそれを単位として行われる。つい最近まで同じ学び舎に通っていた高校の同級生は、ほとんどが別の市や町の成人式に参加することになる。だからこの成人式は、実質は「町立中学の同窓会」であり、中学卒業以来約五年ぶりの再会を祝うものだったのだ。

わたしはこの、「久しぶりの再会」というのがとても苦手である。たいていの場合、苦しさがうれしさに勝つ。考えすぎかもしれないが、「お互い変わらないね〜」を満点として、変わったところが見つかるたびに減点されていくような感覚がある。互いに「変わったな〜」を感じるたびに、関係がどんどん損なわれていくような恐怖がある。だったらいっそ、再会なんてしたくないとすら思う。

案の定、成人式でも同じ感覚に襲われた。「森さんのネクタイおしゃれやな〜、さすが慶應ボーイは違うな〜」と悪意なく茶化されたとき、わたしは泣きたくなった。

人は変わっていく。それ自体は良いことでも悪いことでもない。しかし同窓会や成人式では、お互いが変わってしまった寂しさが身にしみて、無性に辛くなってしまう。

新成人のみなさん、本当におめでとうございます。

次回の更新は1月15日月曜日、正午です。

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