とりとめのない話

文章を書くのはしんどい。しんどい理由はいくつもある。ひとつは、それが自分と向き合う孤独な作業であることだ。さらには、それが「作品」であり、「評価」の対象であることだ。あと三つか四つは出てきそうだが、これ以上掘り下げると書く気がさらに失せてしまうので、もうやめることにする。今日は「作品」を書くのはやめて、単なる言葉の連なりを生み出していきたい。これは「作品」ではないから、まとめる必要もない。起承転結も洒落た言い回しも、「自分らしい個性的な表現」もいらない。ここまで長々と言い訳をしておいて、今日は適当に文章を書きたい。本心で書きたいのかはわからないが、とりあえず書いてみることにする。

「友達ちゃうんかい」の瞬間が好きだ。電車に乗っていて、ある人とある人が隣同士に座っている。会話はないが、気まずいタイプの沈黙ではない。右側が熱心に覗き込むスマホを、左側もちらちらとうかがう。話したいのだろうか。本当は右側と話したいのに、右側の意思を尊重して黙っているのだろうか。かわいいな、と思っていると、電車が停車して、右側が立ち去る。別れの挨拶もなく、二人は他人となる。いや、もともと他人だったのだ。二人の上に「友達」という物語を読んだ、わたしの読解が誤っていたのだ。虚構が現実になることはたまにあれど、現実が虚構になることはない。紙からビルが生まれることはあるが、ビルから紙が生まれることはない。

ここまで書いて、もうだめだと思う。ビルから紙が生まれることもあると思う。結局気の利いたことを言って褒められたい自分を発見して嫌になって、ただキーボードが発する音に気持ちよく身を委ねられない自分が嫌になって、わたしは文章を書くのをやめる。「友達ちゃうんかい」をiCloudのメモ帳から削除する。跡形もなく消える。メモ帳には「キツいカップル」とある。恋愛が所詮主観の産物なら、魅力的に思う人が少ないような人を好きになることのほうがより主観的でより尊いのではないか、みたいなことを散歩中に思ってメモしたのだと思う。わかるようでわからない。いや、わかるような気もする。これを原稿用紙60枚くらいの小説にすれば「いい感じ」になる気もする。「いい感じ」なだけの小説が多い気もするし、小説は「感じ」こそが重要なのだという気もする。もうわからない。何がおもしろいのかもわからない。こないだ観た「パラサイト」はびっくりするほど面白かった。あんなに面白いものがあるのに、自分ごときがわざわざ面白いものをつくろうとする意味がよくわからない。憂鬱ではなくて冷静なだけだ。と思う。そうだと思う。とりあえず今日はだめだ。才能が欲しいが、あっても持て余す気もしている。

次回の更新は1月25日です。

励みになります。