最近恋をした話

好きな人ができた。恋をした、と言ってもいい。

その人は女性で、おそらく自分と同じ年代だ。わたしは彼女の名前を知らないし、話したことも、目を合わせたこともない。

彼女は知人や同僚ではなく、わたしがいつもの電車に乗ったとき、偶然に目にしただけの存在だ。そう、わたしたちは出会ってすらいない。彼女は広告のモデルで、わたしがそれを目にしただけだからだ。どの広告かは言わずもながだろう、小林製薬「アルピタン」である。

「トイレその後に」「アンメルツヨコヨコ」など、「おしゃれ」など眼中にない消費者目線のネーミングでおなじみの小林製薬が2016年の10月に発売したのが、この「アルピタン」だ。その名の通り、アルコールの飲み過ぎによる頭痛をピタンと止める、漢方由来の成分を誇る第二類医薬品である。

小林製薬の広告のモデルに恋をする、というのはたいへんに珍しい経験だろう。おそらく、「トイレその後に」のCMを見て佐藤B作に惚れる人は一人もいない。製薬会社の広告である以上、基本的に痛みや臭みに「弱ってる」人が出てくるのも理由だろう。繰り返すが、自宅のトイレが臭くて弱ってる佐藤B作を見て、恋に落ちる人間はいないのである。

ではなぜ、わたしは彼女に恋をしたのか。それは彼女が、心の底から楽しそうだったからだ。

佐藤B作がトイレの匂いに弱っていたように(何回言うんだ)、彼女も二日酔いからくる頭痛に弱っていた。カーテンから陽光が漏れ入るなか、パジャマ姿で苦痛に顔を歪め、細く長い左手をロングヘアーに差し込んでこめかみを抑えていた(愛しているのだから、B作より記述が詳細なのは当然だ)。だが、わたしを虜にしたのはそこではない。その朝の光景のすぐ左側に、前夜の光景と思われる一場面が描かれていたのだ。

その前夜、彼女はワインを飲んでいた。オフィスカジュアルに身を包み、この世のすべてを肯定するようなエネルギッシュな笑顔を見せている彼女は、まるで今朝とは別人のようだ。素敵な笑顔に目を取られていたわたしは、あることに気づいた。彼女がここまで笑っているのは、仕事が無事終わったからでも、ワインがおいしいからでもない。彼女の隣に、ひとりの男性がいるからだ。彼女の隣で、思いっきり笑いながらビールを飲んでいる、彼女と同年代らしきスーツ姿の男性のおかげなのだ。

彼女は、彼といるこの時間があまりに楽しくて、ついつい飲みすぎてしまったのだろう。翌朝彼女が一人で起きているということは、この二人はまだ恋人ですらないのだろう。それどころか、彼にとって彼女は、単なる「会社の同期」なのかもしれないのだ。

彼女は、本当にうれしかったのだろう。翌朝二日酔いに襲われることを知っていても、それでも彼と酒を飲みたったのだろう。彼と過ごす時間の代償として、二日酔いなんて安いものなのだろう。明日なんかどうでもいいから、今日をめいっぱい生きたかったのだろう。

そこまで想像してわたしは、この女性のことが好きになってしまった。わたしが女性を好きになるのはいつだって、その女性が生に邁進しているときだ。その邁進の向かう先が仕事や趣味であろうと、別の男性であろうとかまわない。叶う、なんてものは恋の一要素にすぎないのだ。

わたしはこの叶わぬ恋を維持するために、「アルピタン 女優」と検索するのを必死で我慢している。彼女は広告のなかにしかいないのだから。

次回の更新は8月3日、土曜日です。


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