ピアノ教室の話

後悔していることがある。日頃から「死ななきゃオッケー」教を信仰し、シンプルだが適度に刺激のある、安物の薄い炭酸水のような人生を送りたいと願ってやまないわたしにも、後悔していることがある。ピアノ教室のことだ。

小学校一年生から六年生まで、ピアノ教室に通わされていた。「通わされていた」という使役表現の通り、百パーセント親の意思である。

わたしの育った町は「都会」の匂いが一切しない場所で、小学生の娯楽といえばスポーツとテレビゲームくらいしかなかった。わたし以外の同級生男子は全員「スポーツ少年団」という圧力団体に加入し、放課後や休日に野球やサッカーを楽しんでいた。つまりわたしは、「スポ少」のせいで十分に浮いているのである。その上でピアノ教室という「女子のもの」に通うなんて、浮きの二重苦であった。「スポ少」に入るという選択肢はありえないとしても、家でゲームをしていたかった。

教室は民家の一室であり、講師がマンツーマンで指導を行うため、普段は他の生徒との交流はない。ただし、年に数回行われる発表会は別だ。

発表会では教室に生徒が一堂に会し、保護者の前で一人ずつ課題曲を披露する。当然のように、生徒は全員女子だ。しかも田舎のピアノ教室であるから、ほぼ同窓生で、なかには同じクラスの女子もいる。これはきつい。むちゃくちゃにきつい。完璧に演奏したら「なんか、かっこつけとる」が、下手なら「へたくそやな」が待ち構えているのである。どちらにせよ、「スポ少」の男子たちにリークされたら大ごとである。「ピアノマン」というあだ名をつけられ、体育のドッジボールの標的になるかもしれない。そんな被害妄想を抱えたわたしの選択肢は、「やる気なさそうに、そこそこのクオリティーで演奏する」ことしかなかったのだ。ちなみに、ピアノマン事件はわたしが高3のときに起きたので、その部分は嘘である。

いつかの発表会の朝、ピアノ教室に通う同級生女子たちが大挙してわたしの家に寄り、迎えに来てくれたことがあった。「もりさーん(当時の愛称)!!」と声を合わせる彼女たちの笑顔に嘘はなかった(はずだ)。コミュニケーション下手だったわたしは、さもめんどくさそうに「はいはい」と返し、彼女たちの元に向かった。あまりにも美しい記憶だが、これは嘘ではない。

今ならわかるが、彼女たちはわたしを「普通に」扱ってくれていたのだ。いちピアノ教室の生徒として、男女の区別なく扱ってくれていたのだ。

もっと「普通に」通えばよかった。普通に練習して、普通に交流すればよかった。そうすればピアノだって上手くなっただろうし、女子たちとの友情も育めただろう。

ピアノもコミュニケーションも、いまだに下手なままである。

次回の更新は11月21日水曜日、正午です。


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