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毎朝コーヒーをいれる話 (1,307字)

dポイントの引き換えでもらった真っ赤な電気ケトルに、滝のように水をいれる。「0.5L」の白線をすこし超えたあたりで水道をとめ、同色の真っ赤な台にセットした流れのまま、イケアのジップロックからフィルターを取り出してホルダーにセットし、デパ地下で買ったコーヒーをガラス瓶から一杯、二杯と落とす。寝起きでうっかり落とさないよう、ホルダーの取っ手をしっかりと持ちながら右腕の振動で地崩れを起こし、粉を平らにする。何度見ても土のようだ。土にしか見えない。ダンゴムシが這い出るのではなく、豆の木が芽吹く光景を想像しながら昨日買った調理パンをレンジに入れ、「トースト」のボタンを押す。カとケの間のような乾いた音がケトルから響き、水から湯になったことがわかる。寝起きでうっかり落とさないようしっかりと取っ手を持ち、ケトルの湯をサーバーに移す。ガラスの側面に印字された「オーブン・直火は使用できません」に水面で下線を引けば、残りの水量がちょうどよくなることを経験で知っている。均等な重力でまっすぐになった下線を右腕の振動でかき乱し、サーバーの半分ほどを曇らせたら湯をコーヒーカップに移し、その後湯はすぐにシンクに吸われる。冬らしさのだめ押しとして湯気を放つサーバーに、受けをかぶせる。東急ハンズの「初心者向け」という説明を信じて買った、いびつな計量カップのようなドリップケトルに熱湯を注ぎ、わずかに熱の下がった湯を一滴、二滴と落とし土を中心から湿らせていく。おそらく保育園の庭だったのだろう、よかれと思って水をやりすぎ、花の咲く土がびしょびしょになったことを思い出して反省する。ああならないように気を張って、湯がなるべく球として当たるよう手首を固定する。全体が湿ったので、というよりはこの作業に飽きたので最終工程に移る。「中心よりうず状にお湯を注ぎます。お湯を注ぐときはペーパーフィルターにお湯が直接かからないように注ぎ、抽出時間は杯数分に関係なく3分以内とします」とサーバーの説明書に書いてあるので、そうする。3分を体感ではなく、調理パンをカリつかせる電子レンジの表示を見ながら計測するところが、自分の好きなところだ。レンジ内ではベーコン入りのパンが、台所では寝間着から出た右手がぐるぐるとうずを巻いている。粉の時点では気配だったコーヒーの香りが、もはやつかんで抱いて飲めるほどの実体となって同じ空間にいる。

一月ほど前から、自分でコーヒーをいれている。コーヒー好きという自覚はない。お気に入りの銘柄もなく、価格と気分とパッケージで適当に決めている。だから求めているのは味ではなく、作業に伴う「具体性」だ。

第一段落の1089字は、まとめてしまえば「コーヒーをいれた」という8字に抽象化される。だが、わたしはわたしの時間を抽象化したくない。それに、日頃飛び交う「1175人」「12853件」という冷たい具体性に抵抗するには、その逆の、人間の体温の(あえて言うなら平熱の)具体性が必要なのだと信じている。

わたしは明日もコーヒーを飲む。そのコーヒーは今日のと大体同じだが、どこかすこしだけ違っている。

次回の更新は1月30日(土曜日)です。

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