演技としての仕事の話

昨日、TSUTAYA TOKYO ROPPONGIにお邪魔した。わたしが翻訳を手がけた『ほんと、めちゃくちゃなんだけど』が、この店で大々的に展開されているとの噂を耳にしたからだ。

それにしても、TSUTAYA TOKYO ROPPONGIである。六本木ヒルズの中心を横断する六本木けやき坂通りに面する、「日本初のBOOK&CAFÉスタイルの書店」である(公式サイトより)。UBEReatsの自転車と、ベンツの黒くてごつい四駆を同じ頻度で目にする街、それが六本木である。その中心とも言える六本木ヒルズの、テレビ朝日の巨大な社屋の真ん前に位置する書店が、このTSUTAYA TOKYO ROPPONGIなのだ。この段落ではいままでに六回「六本木」が登場したので、実質三十六本木とも言える。

三重県の片田舎、最寄り駅まで自転車で30分かかる町で生まれた人間が手がけた本が、六本木のど真ん中に平積みされていたのである。上京して12年半、わたしのなかに消えずに残る「田舎者」が、すこし泣いた。

せっかくのこの光景を写真に収めたい、あわよくばSNSに投稿して販促につなげたいと思ったわたしは、店員の方にコンタクトをとることにした。迷惑を承知でレジで名を名乗り、最近作った名刺を出すと、快く許可してくださった。

なんとなく勘付いている方もいらっしゃるだろうが、わたしは店員に話しかけるのが苦手である。書店だろうと、飲食店だろうと、(めったに行かないけど)服屋だろうと、おしなべて「店員とのコミュニケーション」が苦手である。美容院に至っては、こちらがお金をもらいたいくらいに苦しい。

しかし昨日に関しては、躊躇することなく店員に話しかけ、交渉事までしたのだ。それはなぜだろうか。

実は会社員時代に、同じようなことをしていたのだ。玩具メーカーに入社して営業担当となったわたしは、東京中の玩具店を巡り(社内ではこの仕事を「店舗ラウンド」と呼んでいた)、名刺を出し、自社商品のなんやかんやをしていた。昨日わたしが翻訳者として書店でやったことは、玩具メーカー社員として玩具店でやっていたこととほぼ同じなのだ。辞書の用例になりそうなほど見事な、昔とったきねづかである。

そして昨日の仕事の完遂に大きく役立ったのが、名刺である。この存在は大きい。あのほんのり堅い紙一枚で、わたしは「個人」の上に「翻訳者」という仮面を被れたのだ。翻訳者であるわたしは臆することなく仕事をこなし、レジでわたしを担当者に取り次いでくれた店員に店内ですれちがったときなどは、笑顔で会釈を交わしたのだ。その店員が、「こんな東京のど真ん中でバイトしてることだし、モデルか女優の卵なのかな」と思うほどの、こちらが緊張するほどの美人だったにも関わらずだ。

思うに、すべての仕事は「演技」なのだろう。サラリーマンの演技、翻訳者の演技、書店員の演技、そして複雑な表現だが、俳優の演技。報酬はその演技の対価である。きっと仕事論に結論など出ないが、そう考えるとうまくいく気がする。

次回の更新は12月14日金曜日、正午です。



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