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あつ森で女装に目覚めそうな話

「ふわっとしたワンピースとかで出社したい」

これは2018年7月19日、午前9時3分のわたしのツイートである。みなさんには送信時刻に注目してほしい。当時わたしはある玩具メーカーに勤務していたから、なんと始業の三分後にこれをツイートしていたことになる。翻訳書の出版が決まり、それが副業規定に抵触するという理由でこの三ヶ月後に退職することが決定していたとはいえ、あまりのやる気のなさである。

この発言には前日譚がある。同じフロアの若手社員が短パンで出社してきたのだ。内勤で私服が許されているとはいえ、社員たちは空気を読み、あるいは「○○はダメ」のような出所不明の不文律を守り、そこそこ小綺麗な格好で仕事に励んでいた。そこに風穴を開けたのが彼だった。彼は当然のごとく先輩社員から袋叩きにあったが、元々用意していたのか、その場で思いついたのか、会心の一撃を放った。

「だって、女性社員はショーパン履いてるじゃないですか」

わたしはハタ、と膝を打った。いや、同じフロアとはいえ別部署の彼らの会話を盗み聞きしていたので、バレないように「ぱさ」と控えめに打った。論理的には、彼の発言は正しい。ただ問題は、社会と会社は論理だけでなく、主に感情によって動くということである。その一撃を受けた先輩社員たちは、「でもお……」などと漏らしながら困った顔をしていた。そこから先は記憶があいまいだが、彼は結局、「ダメなものはダメ」的に言いくるめられたのだと思う。

そんな彼の影響もあり、わたしはフラットな目で女性の服装に注目しはじめた。会社の内外で女性たちを見ていた。季節は夏。男性のそれよりも語義の広い「オフィスカジュアル」に身を包んだ彼女たちの一部は、全体的に男性よりも涼しそうだった。中でも決定的だったのが、ふわっとしたワンピースである。そして冒頭の発言戻る。

わたしがワンピースを着たかったのは、「女装」という観点からではなかった。ひとつは、単純に涼しいこと。もうひとつは、単純にかわいいこと。「やっぱかわいいからじゃねえか!」と青筋を立てるのはやめてほしい。かわいくありたいのと女性になりたいのとは、全く異なる欲望である。一致したり両立したりしている人もいるだろうが、少なくともわたしにとっては別物なのだ。

と、最近までは思っていた。あるゲームがわたしの自信を揺るがせた。そのゲームとは「あつまれ どうぶつの森」である。

「あつ森」という略称で知られているこのゲームには(わたし自身はこの略称は好きではない、冬場のつけ麺みたいだからだ)、明確なゴールがない。言葉を話す動物たちの住む島で、釣りをしたり、虫をとったり、家具を集めたりして気楽に暮らすことが目的だ。そんなの現実でもできるという意見もあるが、ゲーム内ではクーラーボックスの準備もいらないし、虫カゴは無限にあるし、どんなに大きな家具でも持ち運べる。つまり、日常生活のややこしい部分はすべて取り除かれ、楽しい部分だけを楽しめるのだ。だからわたしはこのゲームを、「暮らしの合成麻薬」と呼んでいる。

島の中に、エイブルシスターズという服屋がある。シスターズの名の通り、ハリネズミの姉妹によって営まれる家族経営の店である。この店の大きな特徴の一つが、メンズとレディースの区別がないことだ。客が一度試着室に入ると、「男性っぽい」ジャケットも、「女性っぽい」ミニスカートも、「変わり者っぽい」変な帽子も、すべてが同じ画面に表示される。つまり、フラットな選択肢として提示されるのだ。

わたしも最初は、自分のジェンダーに合わせた服を着ていた。スタンドカラーのワイシャツに派手な色の短パンを合わせるのが好きだった。しかし、ある日。気まぐれにわたしは、いつもと違う選択をした。「この服を試着する」のカーソルを少しだけ右にずらし、オレンジのワンピースを試着したのだ。そこでなにかがはじまった。オレンジと白のストライプから、ほんのり紅潮した手足が覗いていた。それが映えるように靴を履き替えた。帽子も替えた。いつの間にかわたしは、「女の子」の服装になっていた。

いや、わたしはあくまでかわいい服を着たいだけなのだ。それが女性に多い服装かどうかは本質ではないのだ。だが、このすらりと軽快なワンピースには短髪は似合わないのだ。だからわたしは「イメチェン」を行い、髪型をふわっとしたボブにした。ボリュームがあるぶん色は軽いほうがいいので、栗色に染めた。「別物」かどうかは、もうわからなくなった。

すっかり別人になったわたしを、島の住民たちは変わらない態度で迎えてくれた。彼らは外見ではなく本質を見ていた。それは大変にありがたいのだが、わたしにはすこし不満があった。新しい髪型が似合っていると言ってほしかったのだ。

次回の更新は7月4日(土)です。


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