近所の当たり屋の話

明鏡国語辞典で「当たり屋」という言葉を引くと、こう説明されている。
"③〔俗〕走っている車にわざとぶつかって、賠償金などをだましとる人。"
多様な語義を持つこの言葉であるが、この文章における「当たり屋」はすべてこの意味である。決して、「②〔俗〕野球で、このところ打撃が非常に好調な人」ではないことを明記しておく。

高校二年まで住んだ町で、当たり屋がいるという噂がささやかれていた。そのピークはわたしが小学生の頃で、中学に入るとその噂を口にする者が周りにいなくなり、次第にわたしの、そして皆の記憶からその存在は消えていった。

わたしが最初にその噂を耳にしたのは、おそらく小学二年か三年のころだったと思う。放課後、友人数人と帰宅しているとき、一台の原付が道の向こうからやってきた。

「あれ、当たり屋やで」

友人のひとりがそう口にした。原付に乗っていたのは、ふっくらした顔と白い肌が目立つ、穏やかな笑みを浮かべた中年男性だった。幼心に、「みつまJAPANという芸人に似てるな」と思ったのを覚えている(記憶の捏造かもしれない)。

「あんなやさしそうな顔やのに、当たり屋なんや……」

わたしがそう思ったかどうかは定かではないが、これだけは言える。当時のわたしはなんの根拠もなしに、「あの男性を当たり屋とみなす」ということを了解したのだ。

なぜわたしは、そんなことを了解したのだろうか。理由はおそらく二つある。

一つは、仲間はずれにされたくなかったから。「あの男性を当たり屋とみなす」ということは、「休み時間に外で遊ぶ」「毎週水曜日に『ドラゴンボール』を観る」といった、男子の掟の一部だったのだ。

もう一つは、腑に落としたかったから(妙な日本語で申し訳ない)。下校時間に原チャリで町を疾走するにこやかな大人というのは、なかなかの異物である。いま考えれば夕刊の配達をしていた可能性が高いし、そもそも大人がいつ原チャリに乗ろうと自由なのだが、物知らぬ子どものわたしにはそれがわからなかった。

おそらく当時の同窓生たちは、そんな異物を消化するために「当たり屋」という噂に頼ったのだろう。彼が醸す数々の違和感(「なんで終始にこやかやねん」など)を、当たり屋だという噂が打ち消してくれるのだ。噂の出処は不明だが、おそらくはそうした違和感を感じた誰かが、「当たり屋かもな」と口にしたのが端緒なのだろう。

郷愁に浸るつもりでこの文章を書き出したが、背筋が寒くなっている。「あれ、当たり屋やで」は、「あの女は魔女だ」と同質なのではないか。

当たり屋の噂は自然に収束した。みんな飽きたのだと思う。もしあのまま飽きずに続いていたらと思うと、わたしはにこやかに笑えないのだ。

次回の更新は2月19日火曜日、正午です。

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