全国大会の垂れ幕の話

家の近くに時間貸しの駐車場があり、その隣に四階建てくらいの茶色いビルが建っている。四階建て「くらい」と書いたのは、なかなかそのビルを直視できないからだ。そのビルから誰かが飛び降り、駐車場に叩きつけられるイメージが頭から離れないのである。

もちろん、「飛び降りたい」と思っているわけではない。実際にそこで飛び降りがあったわけでもない(はず)。ただあるときから、そのビルが「人が飛び降りそうなビル」に見えてしまうようになった。

そのビルの周りの、無機質で冷たい風景のせいかもしれない。ビルの壁面が全部見えているのが気持ち悪いのかもしれない。似たような場面を映画で観たからかもしれない。理由はともかく、そのビルのそばを通るたびに、前述のようなイメージが頭に浮かんでしまうのだ。

これは困る。何の得もない。「昼のカレービュッフェに行く」みたいな楽しい用事のときにもそうなってしまうのだから始末に負えない。

「想像するな想像すな」と頭で念じていると、余計に想像してしまうものである。毒は毒をもって、想像は想像をもって制するほかない。人が飛び降りたりしない、より強力な別のイメージを追求してみたい。

ある土曜日、わたしはちょっと遠くのカレー屋まで歩こうとしていた。お目当てはランチタイムのビュッフェである。

まずはサラダで腹三分目くらいにしてから、数種類のカレーを順に楽しもうか。いやむしろ、サラダで七分目まで行ってから、デザート感覚でカレーを楽しんで日頃の野菜不足を解消しようか。そんな風にプランを練っていると、近所のビルの壁面に垂れ幕が掛けられていた。

「祝 全国総合選手権大会 第八位」

何かの全国大会で八位になったようである。しかし、何の大会で?そして、誰が?

こういうものは普通、「○○部」や「△△君」などという表記が添えられているものである。いや、たとえ「野球部の大島君」であったとして、こんなしょぼくれた雑居ビルに、野球部を擁するような学校が入っているものだろうか。わたしには知識がないが、社会人野球でもこういう垂れ幕を作るのだろうか。

次々と疑問が湧いてくるなか、そのビルの窓が開いた。背筋の伸びたひとりの女性が、遠くの景色を眺めている。彼女は高校生のようにも、中高年のようにも見えた。ふいに彼女が下を向き、わたしと目が合った。彼女はその状態のまま、静かな微笑みをたたえながらゆっくりとうなずいた。

「八位の人だ」と、わたしは確信した。何かの大会で八位をとった者、トーナメント制なら準々決勝に進出した者のオーラを、彼女は放っていた。

別の日にそこを通りかかると、垂れ幕は撤去されていた。単に時間が経ったからなのか、それとも彼女がここを去ったからなのか、理由はわからない。垂れ幕があったところだけ、壁の色が濃い気がした。

しかし、彼女のことだ。また別のビルで、また別の垂れ幕を下げているかもしれない。街で「祝」の字を観るたびに、わたしは彼女の微笑みと、まっすぐに伸びた背筋を思い出してしまうのだ。

次回の更新は3月27日水曜日、正午です。
(4月1日〜5日は春季休暇をいただきます)

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