免許の更新をした話

先日、運転免許の更新をしてきた。短縮やら自粛やら、力の抜けるような「しゅく」の音にあふれるこのご時世、公式ウェブサイトでしっかりとオープンを確認したあと、神田の更新センターに向かった。ただ運転する機会がなかったとはいえ、ゴールドに切り替わるのは、もしくは、前回の更新から一日も絶やさずに五年間も生きてきたのは、どう考えても「祝」に値する事態だと思った。

一度来ただけでは場所も外観も到底覚えられない、なんの特徴もないオフィスビルの三階に更新センターはある。入口で手指にアルコール消毒を施し、①と書かれた受付に並ぶ。「どうぞー」と呼ばれたわたしは、淡々と仕事をこなしそうな中年男性職員の前に立つ。

これだよこれ、とわたしは安堵する。床にビニテで示された移動経路、真面目ではあるが熱意はない職員、創英角ポップ体にあふれた掲示物。退屈と平和がベン図で混じったところ、その中心にこの場所はある。無論職員はマスクを着用しているが、その程度ではこの場所の「停滞」は脅かされない。

①が終わったわたしは、当然②に向かうことになった。もちろん次は③で、その次は④である。この極めて効率的な、もはや先進国の屠畜場のようなオペレーションに身を任せていると、心の波が鎮まるのを感じる。社会はうまく機能していると思える。種をまいたら花が咲くような順接が、「手荷物はこちらへ」という明快な台詞のなかにある。わたしはいつの間にか顔写真を撮り終えており、足元の赤いビニテに沿って講習が行われる部屋に向かった。途中、トイレに向かうためにビニテから逸脱したとき、すべての責任が自分に課されるような重圧を感じ、すぐに戻りたくてしかたなかった。

「三密」を避けるためにドアと窓が開放された講習室に入り、端の席を確保した。しばらくするとマスクをした職員が、やしきたかじんが持っているような金属の棒を持って入ってきた。濃いめのほうじ茶のような、ほどよく枯れたおじさんだった。このような職に就くには、どのような経路をたどるのだろうか。警察のOBなのだろうか。いまではやわらかい彼の目は、現役時代には見たくないものを見てきたのだろうか。

想定外のことなど起こるはずがないとでも言うような抜群の安定感で、講義は進む。ここでパンフレットを開かせる、ここでDVDを再生させるといった一挙手一投足が、まるでディズニーランドのロボットのような精緻さを誇っている。二ステージぶん録画して比較すれば、その人間離れした正確性と、それでも少しの違いが出てしまう人間からの脱出不可能性が垣間見えるだろう。そんなどうでもいいことを考えている間に、映像の中では人が運転し、事故を起こし、また運転している。

講義の最後に、新たな免許証が一人ずつ手渡された。そこに載っている顔は、どうしようもなく両親に似ていた。それに、室内に掲げられた交通事故の死者数を表す表と、映像に登場した交通事故の遺族のインタビューが胃の中でまじり、後者を「1」として捉えてしまう自分に軽蔑の念が湧いた。わたしは何かを振り切るように建物を出て、陽光の差す通りを神保町まで歩いて、ふらっと入った古書店でとくに好きでもないアイドルのグッズを買って、家路を急いだ。

次回の更新は4月18日(土曜日)です。

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