事務処理恐怖症の話

あらゆる事務処理に恐怖を覚えるわたしであるが、「しかし」というか「だからこそ」というか、あらゆる事務処理が得意である。

まずは「恐怖」について考えていきたい。

たとえばあるテストの満点が100点、合格点が80点、わたしの得点が90点だったとする。前向きな人なら「合格点を10点も上回った」ととらえるこの事実を、わたしは「10点も取り損なってしまった」ととらえてしまう。合格という目的は十分に達成されているのに、減点されたということに執心してしまうのである。もう少しわかりにくい比喩をすると(何故そんなことを)、わたしがマリオで無事にクッパを倒しピーチ姫を救ったとしても、「あそこでちょっと死にすぎた」などと悔やんでしまうのである。やはり、この比喩は余計だったように思う。

役所への書類提出に代表されるように、あらゆる事務処理は減点法で人を評価する。「ハンコが抜けてますよ」と指摘されることはあっても、「なんて美しいレ点をお書きになるの!」などと賞賛されることはない。しかし、どれだけ注意されたとしても、最終的に書類が受理されればなんの問題もない。しかし後ろ向きな、画面左方向に進みたがるマリオであるわたしは、ミスを指摘されるたびに自分の不出来を呪うのだ。「俺はこんなこともまともにできないのか……」と、悲嘆にくれてしまうのだ。

この事務処理恐怖が他者への共感と結びつくと、BBCニュースですらホラードラマになってしまう。「共感性事務処理恐怖」が発動しやすいわたしは、イギリスのEU離脱のニュースを冷静に見られない。離脱に伴って生まれるであろう膨大な事務処理作業を想像するだけで、どうかしてしまいそうだからだ。ひょっとすると、今世紀始まって最大の事務処理作業かもしれない。ある一枚の書類に一箇所サインが足りないだけで、それに関連する複数の書類が無効になったりしたら……。わたし自身がブレクジット関連の事務処理を行う可能性はないと思うが、それを行う人たちの気持ちになって恐怖してしまうのだ。損な性分である。

ここまでで、わたしが重度の事務処理フォビアであることを理解していただけたと思う。しかしわたしは一方で、事務処理が大の得意なのだ。

事務処理(この言葉をこんな頻度で書くのは初めてだ)が怖くてしかたがないわたしは、なんとかそれが最小の手間で、最短の時間で、ミスなく済むように入念に準備をする。役所に複数の用事があるときには、ウェブサイトで必要書類を何度も確認し、効率のよい回り方を考え、最も空いているであろう時間帯を狙い、待ち時間にふさわしい読み味の軽い文庫本も忘れずに携帯する。その結果、あっけないほどにあっさりと用事が済んでしまう。満点だ。減点を恐れるぶん、満点の快楽は強い。怖がりの人がお化け屋敷から無事に出たときも、こんな気持ちになるのだろうか。

昨秋に退職した会社でも、似たようなことが起こっていた。エクセル関連のルーティン作業でミスするのが怖すぎて、なんとか自動で行えないかと苦心しているうちにマクロ(プログラミングのようなもの)を楽々と組めるようになっていた。

そんな事務処理フォビア兼事務処理マスターであるわたしはいま、ある強敵と戦う準備に勤しんでいる。税務署という名のクッパ城は、自宅からすぐである――

次回の更新は1月21日月曜日、正午です。

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