立体駐車場の話

好きで好きでたまらないのだ。『新感染』を観て以来マ・ドンソクのことが、クイーンズ伊勢丹で買って以来フォロドレッシングのことが、ふとしたきっかけでなにかを猛烈に好きになる惚れっぽい(かつ飽きっぽい)わたしが、幼少時から変わらぬ愛を注ぐものがある。それが立体駐車場だ。

Googleで「立体駐車場」を画像検索すると、さまざまなタイプのそれがヒットする。広い平面が何層にも重なっているもの、観覧車のようにぐるぐると回転するもの、スライド式のパズルのようにあっちこっちに動くもの……。どれもそれぞれに美しいが、わたしが好きなのは「自走式」である。幼少時は親に連れられて行ったそれが、免許を取り、自分で運転するようになって、なおのこと好きになったのだ。

自走式駐車場とはなにか。まずは、平面の駐車場を想像してほしい。スーパーなどの隣にある、車のまま入っていくあれだ。あれを二階建て以上にしたものが自走式駐車場である(典拠はこちら)。

平面の駐車場のことを、「平置」とも呼ぶ。要は車が出入りでき、駐車できる土地であれば「平置」たりうるのだ。たまに遊園地などの臨時駐車場で「畑か?」と思うような無舗装のものがあるが、それでも先述の条件を満たせば、立派に駐車場として機能するのだ。

しかし、自走式はそうはいかない。「二階」を生むためには、「建築」という概念が必要になる。一階だけなら畑で済むのに、二階建て以上は必ず「建築物」になる。駐車場という概念の奥深さの一端が、この事実に現れている。

ではなぜ、わたしは自走式駐車場が好きなのか。理由はおそらく二つある。

まずは、建築物に車で突っ込むという暴力性だ。たいていの時間、車は道を走るものである。当然だが、道は外にある。そんな、本来「外」を走るべきもので建物という「内」に入るとき、わたしは土足で人家に入るようなこそばゆい罪悪感を感じるのだ(変態なのかもしれない)。

次に、あまりにも機能的だということ。とくに、階と階をつなぐスロープを走っているとき、わたしは出荷される家畜のような気分に陥る。

これは悪い意味ではない。なぜならわたしは、人格を忘れて合理的な「機能」の一部になるということが、ちょっと好きだからだ。これは高速道路の走行や、運転免許の更新手続きにも通ずる。もちろん、人格を尊重されるべき場でされなかったときはたいへんに傷つくが、自走式駐車場のわたしは邪念とは無縁で、むしろ穏やかな気持ちでハンドルを握っているのだ(変態なのかもしれない)。

週末の東京は天気が悪くなさそうだ。レンタカーを借りて、浦和美園のイオンモールにでも行きたい。お目当てはもちろん、鬼のように巨大な自走式駐車場である。

次回の更新は2月25月曜日、正午です。
下記の通り、来週は「お悩み相談ウィーク」です。

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昨年末に同じ企画を行いましたので、そちらもご覧いただければ幸いです。

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