バリでせつなくなった話

oppressive, suffocating, painful, trying……新和英大辞典で「せつない」を引いてみると、いくつもの英単語が並ぶ。訳語が多いということはすなわち、訳しづらいということだ。これは私見であるが、訳しづらければづらいほど、その単語は「詩」に近い。

小学生のとき、バリに行った。家族旅行でのことだ。当時は毎年一回旅行に行くことが我が家の習慣となっていて、ある年、何かしら「やるぞ」となることが両親にあったのか、景気の影響を受けないはずの公務員のボーナスが増えたのか、我々一家は二泊三日のバリ旅行に出かけたのだった。

二日目だか三日目だかの昼、我々は現地のガイドに連れられ、「ガイドの息のかかった」と表現するほかない宝石店に向かっていた。おそらくこの行程は、日本の旅行会社は承知していない。「まあ、こんなこともあるかな」と旅慣れた雰囲気を醸す両親とは裏腹に、とんでもなく高額なものを買わされるのではないか、そのせいでお金が尽きて日本に帰れなくなるのではないかと、そしてこの土地に何十年も住んで、いずれは昨夜ホテルで見たダンサーのようにケチャをするようになるのではないかと、子どもながらにわたしは恐怖していた。

「かわいい〜〜〜〜〜〜!」

宝石店に足を踏み入れたわたしを待っていたのは、褒め殺しだった。30代中盤くらいの丸メガネをかけた女性店員が、わたしの頬を両手で挟んで目と目をバチバチに合わせながらそう叫んだのだ。そこでうれしがれるわたしならよかった。しかしその頃のわたしはもう、「事情」を読み取れるほどには成長していたのである。

女性店員はただ、自分の仕事をしただけだった。一つでも多く宝石を売るという己の職務に忠実であるため、腰を落とし、腹をくくり、ちょうどいちばんかわいくない時期の男子であるわたしの頬を挟んでそう叫んだのだ。そうすれば親が喜び、ネックレスのひとつでも買うだろうという計算なのだろう。が、物価の差を考えれば、それは「計算」よりも湿った言葉で表現されるべきものだ。

あの店員にもきっと、家族がいたのだろう。年齢的には子どもが、なんならわたしと同年代の子どもがいてもおかしくない。子どもにおいしい食事を与えるため、学校に行かせるため、彼女は毎日、かわいくもない他人の子どもの頬を両手で挟んでいたのかもしれない。

あのときわたしは、どうするのが正解だったのだろうか。かわいいと言われたことにうれしくなったことにして、なにか買うよう母親にねだるべきだったのだろうか。そうして、わたしのことをかわいいと思っている母親が買い物をすれば、「子かわいい」が二国間で翻訳されたような気もする。円とルピーのレートよりも正確に、人間の情が翻訳されたような気もする。

あのときのわたしの感情は、言うなれば「せつない」だった。わたしはそれをバリ語どころか、英語に訳すことすらできない。この無力感は「せつない」では表せない。

次回の更新は3月21日(土曜日)です。

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