自分を飼う話

わたしは31歳独り暮らしの男で、誰かを養うこともペットを飼うことも親に仕送りを送ることもなく、自分で稼いだお金を自分だけのために使って過ごしている。「31歳」と「親に仕送りをしない」の組み合わせに違和感を感じる方もいるだろうが、『SPA!』でよく特集される年代別平均貯金額を上回ったことがないという冷たい現実があるので、どうか許してほしい。

子持ちやペットオーナーの話を聞いていると、「この子(ペット含む)の機嫌と体調さえよければオールオッケー」的な、煩悩の匂いのしない、無印良品の洗いざらしのシャツみたいなシンプルな精神状態で暮らしているように思える。

正直、うらやましい。

もちろん苦労は絶えないだろうし、日々フェイスブックに掲載される「我が家の天使」写真の裏には膨大な数の「撮られなかった瞬間」があるのだろうし、煩悩だって年末調整(除夜の鐘とも言う)では処理しきれない量があるかもしれない。ただ、生きていく目的がとてもなくリアルなのは、やはりうらやましい。

うらやましいので、自分を飼うことにした。独身者のわたしには観葉植物や熱帯魚が現実的な「手段」と思えたが、生きものを「手段」扱いするのも気が引けるので、自分で自分を引き取ることにした。

その観点で、昨日の自分を振り返ってみよう。好天のなか、彼(わたし)は10時頃に寝床から起き上がったが、二日酔いが辛いのか、ラジオのスイッチを入れたあと、寝床に戻った。正午すぎ、空腹を感じた彼はむくりと起き上がり、近所で食材を調達して台所で調理した。手のかからない料理ではあったが、冷凍野菜で味噌汁まで作っている。その後はラジオを聴きながら(人間の言うことがわかるのだ)、洗濯をしたり、掃除をしたりして夕暮れまでおとなしく過ごす。以下略。

どうだろうか。「昨日何してたの?」に対して「何もしてない」と答える他ない休日であったが、彼の終始穏やかな表情を見たわたしは、ささやかだが確かな満足を感じたのだ。

今日は彼の諸々の手続きのため、わたしは役所に同行しなければならない。彼が退屈するといけないから、文庫本を持っていってやろうと思う。

次回の更新は10月23日火曜日、正午です。

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