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裸で猛ダッシュしていた話

その行為自体は到底褒められたものではないし、日本においては完全に違法であることもわかっている。わかっているがしかし、街中を全裸で走り回りたいときがある。見られたいわけではない。不快にさせたいのでもない。ただ全裸で走り回りたいのだ。そしてその場所は、「服」が意味を持つ場所であればあるほどよい。もしなにかの間違いで機会を得られるなら、伊勢丹のメンズ館をチョイスしたい。

伊勢丹のメンズ館を全裸で走り回りたい、という欲望を吐露した上で、もうひとつ告白しておきたい。わたしはかつて「全裸少年」だった。なんとなくスキマスイッチ感があるが、この曲名では紅白出場はむずかしいだろう。とにかくわたしは裸で外を走っていて、その場所は自宅だった。

我が家は割とでかい。イオンモールに車で行くくらいの田舎の一軒家が、二つ連なった構成である。ファミリーヒストリーには詳しくないが、父の結婚、もしくはわたしの誕生を機に「新館」を建てたのだろう。

わたしの住む新館と祖父母の住む旧館は、直接はつながっていない。それぞれの棟をアーケード的なものでつなぎ、その下を壁で埋めてなんとなく一体化しているが、あくまで別の建物だ。我が家の風呂は、この「アーケード下」の一区画にある。旧館の勝手口はアーケード下に直通しているが、新館からアーケード下に入るには、一旦玄関から庭に出て、アーケード入り口のドアを開けねばならない。いや、新館とアーケード下も直通しているのだが、そのドアは父親の仕事部屋にあるのだ。つまりわたしが風呂に入るとき、いったん「外出」をするということだ。しかもその庭は駐車場を挟んで、細い公道に面している。

そんな「三重のウィンチェスター・ミステリー・ハウス」と名高い奇怪な構造の我が家である。その構造がわたしの心理状態になんらかの影響を与えてもおかしくはない。

幼気なわたしは当初、入浴後ぎちぎちにバスタオルを巻いて、しかも速歩きで新館に向かっていた。ドア・トゥー・ドアは最速で三秒ほど。この三秒の間に公道に人が通り、姿を目撃される可能性は極めて低いが、それでもわたしは悪評を恐れていた。明日学校で「見たで」と言われたら、人生が終わってしまうと考えていた。

あれは「魔が差した」としか表現できないのだろう。小学校低学年のわたしはある日、アーケード下のドアを後ろ手に閉め、巻いていたバスタオルをほどいて肩にかけ、いろいろ丸出しでいつものルートをダッシュしたのだ。生まれてはじめてのような、同時に、やっとここに帰って来れたかのような、毒にも似た快楽が健康優良体を支配した。

わたしはその日から、秒数の調整をはじめた。あまりに短くてもスリルがない。あまりに長くてもリアリティがない。大事なのは自然体だ。後ろ手の段階で公道から話し声が聞こえたこともあった。そんなときは遠ざかるのを待った。声が聞こえるのに全裸でその脇を通るのは、それはもう確信犯だからである。見られるときはあくまで、事故でなくてはならない。わたしは事故を待っていたし、同時に恐れてもいた。そしていつの日か、急速に飽きた。それまで経過したのが数日だったのか数年だったのか、わたしにはわからない。子どもの時間を計測するのは、大人には不可能である。

いまではすっかり、魔が差すこともなくなった。わたしはユニクロの感動パンツを試着して、「重いかな」「かわいすぎるかな」と、丈の長さで延々と迷うような大人になった。少々息が詰まってもスタンドカラーのシャツを着るようになった。それでもやはり、すべてを脱ぎ捨てて走り出したい瞬間はある。なにかの間違いで大金持ちになって、伊勢丹メンズ館を貸し切れたらと思う。

次回の更新は8月1日(土曜日)です。


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