鼻血の手術の話

小学生くらいまで、わたしは頻繁に鼻血を出していた。もちろん出したくて出していたわけではないし、何かに興奮したのが原因というわけではないが、日向・日陰、オン・オフ問わず、ことあるごとに鼻血を出し、ティッシュを赤く染めていたのだ。

「このままではダメだ」「この子の将来の沽券に関わる」と親が思ったのであろう、わたしは10歳かそこらで、鼻血の手術を受けることになった。

意識はあるのに身は不自由、というのは怖い。多くの方は、その恐怖を歯医者で経験されていることだろう。あの「口にいろいろと突っ込まれる恐怖」を、「鼻にいろいろと突っ込まれる恐怖」に置き換えて想像していただきたい。大人でも挫けそうになるだろう。

以下、手術の記憶を描くことにするが、あまりの恐怖に記憶が歪んでいる可能性があることはご留意いただきたい。

「鼻の粘膜を電気メスで焼く」というのが、この手術の根本である。あらゆる「根本」のなかでもかなり物騒な「根本」だろう。字面だけ見ると『SAW』シリーズに登場しそうな、こんな拷問じみた手術を受けることを宣告されたとき(当時は『SAW』シリーズなどなかったが)、10歳のわたしはどんな顔をしていたのだろう。

耳鼻科の診察室に入ると、施術用の椅子が目に入った。そんなものがあるのかは知らないが、横になるタイプの死刑台にしか見えなかった。以前にも別の、手術の要らない症状でこの耳鼻科に来たことがあったが、そのときと同じ椅子だった。「手術室」みたいな特別な部屋に行くわけではないことに安心したが、逆に、日常に「手術」が侵入してくるような恐怖も感じていた。

施術前に、まずは局所麻酔を行う。何かが鼻の穴に入ってきた、という記憶はあるのだが、その何かが注射針なのか、それとも薬が塗られた綿棒なのか、いまは定かではない。少なくとも言えるのは、何かを鼻の穴に入れられたわたしは、この時点で戦意を喪失していたということだ。「どうにでもしてくれよ」と、幼な顔に諦念をたたえていた。

麻酔が効くまで数十分待たされ、手術がはじまった。どうしても怖いもの見たさに抗えず、そのハンダゴテのような電気メスを見てしまった。耳鼻科医は「痛くないよ」「麻酔が効いてるからね」的なことを言ってくれたはずだが、そういうことではない。いくら痛くなくても、ハンダゴテのようなものが鼻孔に入ってくる事実に変わりはない。「でも先生、ハンダゴテのようなものが鼻孔に入ってくる事実は!」などと抵抗する気力もなく、わたしは黙って侵入を許した。

そこからの時間はただ、されるがままであった。汁のようなものが鼻から垂れ、それを無機質な手付きで耳鼻科助手に拭かれても、挫ける余力も残っていなかった。わたしの諦念は「どうにでもしてくれよ」から「関係ないね」の域に達し、幼な顔に柴田恭兵をたたえていた。

手術は成功した。わたしはそれ以来、ほとんど鼻血を出していない。

あのとき勇気を出して手術を受けてよかった、いまなら素直にそう思える。しかしそれが何であれ、ハンダゴテのようなものはもう見たくない。

次回の更新は3月18日月曜日、正午です。
(月曜~金曜の「連載」は、今日で100回目となりました。)


励みになります。