加点法評価の話

『レッド・デッド・リデンプション2』というゲームソフトがある。2018年10月に世界中で一斉に発売されたこの作品は、瞬く間に大ヒットを記録した。わたしも現在、雨の日と土曜日にプレイしているが(そういう自粛をしないと延々とやってしまう)、この作品が面白いのかどうか、まだ掴めないでいる。

この作品のなかで、プレイヤーは19世紀末のアメリカのギャングとなる。列車強盗をしたり、借金の取り立てをしたり、雪山で遭難した仲間を助けに行ったり、ただ馬に乗って付近を散策したり、鹿を狩って毛皮を商人に売ったり、その活動は多岐にわたる。重要なのは、このほとんどが「やってもやらなくてもいい」活動であることだ。スーパーマリオのように、1面をクリアしなければ2面に行けない、という拘束性はほとんどない。プレイヤーは広大な世界にぽーんと放たれ、「やりたいようにやれ」と突き放されるのである。

つまり、圧倒的に自由なのだ。おそらくその自由度は、テレビゲーム至上最高のものである。ではその「面白さ」も最高なのかというと、それがそうでもない。

やれることが多すぎて、何をしていいかわからない。アクションが多様な分操作が複雑で、気持ちよさに欠ける。馬のケアから髭剃りまでなんでも自分でこなす必要があるので、めんどくさい。こういう風に、減点法で短所を挙げていけばキリがない。

では、この作品がつまらないかというと、それも違う。やりたいことだけをやればいいので、ただ作業をこなしているような感覚がない。血湧き肉躍る銃撃戦は臨場感があり、思わず手に汗を握る。きちんとケアをすれば馬はなついてくれるし、髭も服も自分好みにアレンジできる。こういう風に、加点法で長所を挙げていっても、それもまたキリがないのだ。

結論を言えば、このゲームソフトを買ったのは正しい選択だと思っている。まだまだプレイしたいし、人にも勧めたい。減点法だと0点だが、加点法だと満点である。

ふと思った。なんか、人生と似ていないか?結局は「生き続けたい」と思う感じ。楽しいんだか苦しいんだかわからない「自由」の感じ。うれしいこともつらいことも無限に、かつ表裏一体で存在する感じ。

なんでもすぐ人生論に持ち込むのは大人の悪い癖だが、金曜日だから許してほしい。

経験論で語らせていただくが、減点法で自分を評価すると病む。なにか理想を設定して、それを満点として自分の現状と比較する行為をつづけていくと、先の尖った革靴を履いたオラオラ営業マンをのぞいて、必ず病む。理想は常に達成されないからだ。もしくは、競走馬の顔の前にぶら下げられた人参のように、達成されないからこそ「理想」なのだ。もちろん、理想に近付こうとするのは大切だが、そこから「減点」して現状を評価することはおすすめしない。

ならば、話は簡単だ。加点法で考えればいい。どこを始点とするかは一概には言えないが、とりあえずは「朝起きて、三食とって、風呂に入って、誰も傷つけずに一日を過ごした」くらいでいいと思う。この基準で昨日の自分を評価してみると、300点くらいは軽く突破したのではないかと思う(満点の概念はない)。一万歩歩いたし、英語の勉強もした。

今日のこの記事は何点なのだろうか。どうか加点法で評価していただきたい。

次回の更新は11月19日月曜日、正午です。





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