花粉症デビューの話

昨日、日本で一番偏差値の高い大学のキャンパスに散歩に行った。仮に「T大」としておくが(隠せてない)、その合格者の多くを「Z会」の会員が(隠してない)占めることで有名なあの大学である。

おそらく春休みということもあり、学生の姿はほとんど見えなかった。ベンチに座って飲むヨーグルトを飲んでいると、スポーツマンらしき一団が通りかかり、そのなかの一人がくしゃみをした。花粉症だろう。

この大学に通うほどの知性をもってしても、花粉症にはかかるんだな。そんなことを思いながらわたしはスマホのアプリで、ある司会者が友人の逮捕について語っているラジオ番組を聴いていた。

わたしも花粉症持ちである。発症した時期は明確に覚えている。なぜならそれが、「よりによってこんなときに」と嘆くしかないタイミングだったからだ。

2006年の2月、発売を控えた宇多田ヒカルの『Keep Tryin'』がラジオでよくかかっていた頃、というより、高校三年生だったわたしが大学受験の最終段階に入った頃、突然にくしゃみが出はじめた。どう考えても花粉症だった。

その年まで目もかゆくならず、「俺の肉体は花粉を感じない構造だ」とまで思っていた余裕綽々のわたしを、突如として花粉症が襲ったのだ。「神はいないのか!」と悲嘆にくれていたが、すでに学問の神・菅原道真公を祀る北野天満宮で合格祈願をしていたので「いない」とするのは都合が悪い。道真公の時代に花粉症なんてなかったのだ(たぶん)。

それにしても、である。それにしても、わざわざ受験イヤーにぶつけることはないじゃないか。「人間の身体には花粉を受け止めるコップみたいなものがあって、それが溢れたときに花粉症を発症する」みたいな真意不明の説があるが、コップ!コップよ!どうしてそんなサイズなのだ。ひょっとして歯医者で口をゆすぐときの紙コップみたいなサイズなのか。ならいっそ中ジョッキくらいの景気のいいサイズにしてくれないか。そんな嘆きは通じることなく、怒りか花粉か、どちらのせいかわからない涙を鼻水ごと拭った。

花粉ニモマケズ、第二志望の大学に合格することができ、わたしの受験戦争は満足できる形で幕を閉じた。しかし、花粉との戦いは終わる見込みがない。いまからコップを大ジョッキにできないか、医学の発達に期待するしかない。

次回の更新は3月15日金曜日、正午です。

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