いないものがこわい話

こわいこわいこわい。こわくてしかたないものがある。おばけやヤクザも怖いし、まんじゅうも熱いお茶もこわいのだが、何よりもこわいのは「いないものがある」ということだ。

最近、AirPodsをしている人をよく見かける。AirPodsとは、うどんの切れ端のような、短めの豆もやしのような、Apple社製のワイヤレスイヤホンのことである。それはいい。好きに使えばいい。わたしが気になるのは、二人で一組を共有しているケースだ。

AirPodsは、ケースから本体を出すことで電源がオンになる。そして、詳しい仕組みはわからないが、両耳にセットすることで自動的に音声が流れ出し、片耳から取ると一時停止し、両耳から取ると停止となる。つまりAirPodsは、自分が「両耳にセットされている」ことを自覚しているということだ。

そして問題のケースである。AirPodsを「共有」するには、「両耳にセットされている」ことをAirPodsに信じ込ませる必要がある。だからカップルたちは、左側を歩く者の左耳に左耳用の、右側を歩く者の右耳に右耳用のAirPodsをつけるのだ。これがこわい。こわくてたまらない。なぜならAirPodsが想定しているのは、とんでもなく頭が大きい生き物の姿だからだ。

わたしの目には、仲の良さそうなカップルが映っている。単なるスーパーでの買い物だが、二人にはこれも立派なデートなのだろう。楽しんでほしい、愛し合ってほしい、人生は美しいとわたしは思うが、AirPodsが見ている世界は違う。彼らには、どんな図鑑にも載っていないような頭の大きい生物が、小さめの大仏サイズの頭の生物が見えているのだ。そんなものに向けてあいみょんなどを流すのが、AirPodsの仕事なのだ。

これに限らず、情報化社会においては同種の恐怖が散見される。

ひとつは、プロフィールの入力である。わたしは1987年生まれの男性だが、もし誤って1897年生まれの女性と入力してしまったら、122歳の老女がこの世に爆誕してしまう。彼女は住所はおろか、「秘密の質問」にある母親の旧姓までわたしと同じなのだ。そしてそれを修正するのも、この世から一人の人間を消すようでこわいのだ。

もうひとつ、Googleマップの誤入力もこわい。たとえば深夜の二時に、翌日の移動経路を確認しようとする。わたしの住む東京都豊島区から、美術館や博物館へのルートを検索する。初期設定では「今から出発」になっているため、すでに終電のない今、表示されるのは始発に乗る場合である。当然、始発で行っても美術館は開いていない。この行動の非現実ぶりがこわい。しかもそれだけではない。たとえばもし、何かの拍子で行き先を「アリゾナ州立公園」などにしてしまったらと思うと、わたしは夜も眠れないのである。

巨大な頭であいみょんを聴く1897年生まれの女性が、真夜中に豊島区からアリゾナに向かおうとするのだ。いや、大丈夫だよ、そんなものはいないよと、AirPodsやGoogleに伝えたい。だがその術を我々は持たない。彼らはただ、いないものをあるものとして、粛々と仕事をするだけなのだ。その冷たさもこわい。

次回の更新は12月7日(土曜日)です。

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