割合の話

ある居酒屋で昼食をとっていたときの話だ。

東京・上野にある国立科学博物館に行きたかったわたしは、お昼時に腹ごしらえをするため、ランチタイムの海鮮丼が売りのその店に入った。

平日の昼ということもあり、店内はほどよく空いていて、ほどよく活気がなく、店員の覇気もほどよく保たれていた。鮮魚が売りの居酒屋にありがちな「よっしゃっしゃっせー!!!」のような出迎えもなく、ただ単に「いらっしゃいませ。お一人ですか?」と聞かれた。

ランチメニューの一番の上にあった海鮮丼を注文すると、テーブル一台を置いて右隣の、中年男女の会話が耳に入ってきた。

「いや、私が悪いのはわかってるけどさ、それでも7:3っていうのはおかしいと思って。ごねまくって6:4にしてもらったけどさ」

女性のほうがそう言った。口調や数値については記憶が定かではないが、おおよそこんな内容だ。「自転車」「信号無視」などの単語も聞こえてくるから、きっと交通事故の過失割合について話しているのだろう。

「まあ、自転車と車の割合はそれが普通だよね」

その女性の夫なのか友人なのかはわからないが、男性は交通事故に詳しかった。顔の年輪から長年の苦労が想像できた。法律や保険の関係者かもしれない。

普段のわたしなら、むしろ前のめりになってこういう会話に聞き耳を立てる。決して褒められた行為でないのは百も承知であるが、このような「生きた会話」はメディアのなかには登場しない。街で拾うしかないのだ。しかし今日のわたしは、彼らの存在に心底うんざりしている。

ああ、これからわたしは、科学博物館に行く予定なのである。人類史・地球史・宇宙史のスケールで万物を捉えようというのである。そんな大志を胸に秘めていたわたしにとって、このあまりにも卑近かつ具体的な会話は耐え難いものであった。

そうこうしてる間に、海鮮丼が届いた。さすがGUで安いジーパンなら買えそうなくらいの価格設定だけあって、ぬらぬらと光る海の幸が所狭しと丼に詰められている。あえて雑に醤油を回しかけ、一口分を箸で掘り出す。この「掘り出す」感覚が海鮮丼の醍醐味だ。そしてここでも「雑」に、具材が少し混じるようにする。鮭と酢飯と少しの蟹が渾然一体となったものを口に放り込み、その複雑さをゆっくり噛んで解きほぐしていく。うまい。うまさに幸福を覚えているいま、先程の男女の会話が思い出された。すし酢が記憶を改ざんしていく。

「いや、私が悪いのはわかってるけどさ、それでも7:3っていうのはおかしいと思って。ごねまくって6:4にしてもらったけどさ」

「まあ、カレーとごはんの割合はそれが普通だよね」

よかった。誰も事故には遭っていなかったのだ。カレーとごはんの割合は5:5であってほしいところだが、ルーが具だくさんだったのかもしれない。

「いや、私が悪いのはわかってるけどさ、それでも7:3っていうのはおかしいと思って。ごねまくって6:4にしてもらったけどさ」

「まあ、自己負担と保険負担の割合はそれが普通だよね」

制度には詳しくないが、健康保険のことだろうか。病気に苦しむ人が「私が悪い」と思う社会はおかしいから、次の選挙の争点になるべきだろう。

「いや、私が悪いのはわかってるけどさ、それでも7:3っていうのはおかしいと思って。ごねまくって6:4にしてもらったけどさ」

「まあ、地球の海と陸の割合はそれが普通だよね」

この女性は、陸の神かなにかだろうか。現状7:3である海と陸の割合が、彼女がごねたことによって今後変わるのだろうか。もし海が減ったら、海鮮丼はどうなってしまうのだろうか。

ふと気づけば、丼は空になっていた。満腹になったわたしは、水を一口飲んで店を出た。

次回の更新は9月14日土曜日です。


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