解体の話

これは小説ではない。かといって、見た夢の話でもない。

まず首だ、とわたしは考えた。東急ハンズで買ったハサミをだらしなく開き、二本ある刃の一本を「それ」の首に刺す。命のない「それ」は刃を無抵抗で受け入れ、わたしはその皮膚を刃ではさんで、ゆっくりと穴を大きくしていく。会社にあるコピー用紙を切るときのように、ハサミは順調に仕事を進めていく。わたしは120cmはあるそれを正面から抱きながら、その進行を眺めていた。

ハサミが首を一周する。いびつな球体が床に落ちる。全体から切断された球体はよりどころを失い、静かに床を転がった。中身が一部漏れ出したので、それを蹴って一箇所にまとめる。あとで掃除機で一掃すればよいのだ。とりあえずいまは、部分をつくることを優先したかった。

道具に意思はない。意思のある人間が道具を使うだけだ。ハサミは切るものを選ばず、ただ自分の刃と人間の握力の協働の結果として、部分を生むだけである。部分は常に、死んでいる。全体が生きていようといまいと、部分はすべて死んでいるのだ。

頭部がひとつ、胴体がひとつ、腕がふたつ、足がふたつ。床に広がったそれらを見ながら、わたしは「×1」「×2」という文字を視界にレイアウトした。さすがにわたしも人間なのだろう、その光景を見ながら、IKEA家具の説明書、その冒頭の部品一覧をイメージすることはできなかった。そうだった、「それ」は家具ではなかったのだ。

いよいよ作業は大詰めである。これらを複数のゴミ袋に分けて入れなければならない。誰にも知られてはいけないし、粗大ごみとして出すとお金もかかる。極めて実際的な理由から、わたしは解体を決断したのだった。

まずは中身を取り出す。幸いにも極めて水分が少なく、そのままゴミ袋に入れることができた。半透明のゴミ袋から中身が透けて見えるが、まあいい。中身だけみてもこれの正体はわからない。念のため大きめの袋を買っておいたから、一袋に収まってくれた。

皮も同様に処理する。空気を抜くように丁寧に折ると、かつてのフォルムから想像できないほどに小さくまとまった。中身の袋にはまだ余裕があったが、別の袋を用意してそこに入れた。なぜだか、そのほうが誠実な行為に思えたのだ。

作業が終わった。一時間ほどだっただろうか。「それ」と過ごした日々と比べると、あっけないほどの短時間だった。わたしは作業を終えた充実感と、ほんの少しの後悔を覚えながら、冷やしておいたコカコーラ・ゼロを飲んだ。喉という部品から、胃という部品に冷たさが伝わるのがわかった。わたしはこうして、120cmのくまのぬいぐるみの解体を終えたのだった。

次回の更新は12月28日(土曜日)です。

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