その他の話

「いつもどんな風にnoteのネタを考えているんですか」と聞かれたことはないが、もし聞かれたらならばこう答えたい。「気になったことの単語だけをiPhoneのメモ帳に打っておいて、いざ書くぞってときにそれを見返すんですよ」と。

そんな風に日々無節操にメモを更新していても、実際に書くのは週に一本である。文章化されなかったネタの種が、ポケットにどんどんたまっていくことになる。ああ、季節の変わり目には掃除をしたい。だから今日は、発芽することのなかったそれらの種を、日の当たる暖かい土にそっと埋める気持ちで、淡々と供養していきたいのだ。

「袋大丈夫」のタイミング
ある夜のこと。わたしは近所のスーパーに行った。入り口付近にあるレジを通過しようとするとき、ある女性がレジから微妙に遠い位置で、「私はレジに並んでますよ」感のまだ薄い場所で、「袋いりません」と宣言した。はやい、とわたしは思った。おそらくせっかちであろうこの女性が、この宣言のはやさをどんどん先鋭化させていったらどうなるか、わたしは恐ろしくなった。スーパーに入った時点での「袋いりません」、買い物を終えた時点での「次回は袋いりません」、挙句の果てにはこのフレーズを言うことすら面倒になって、レジ袋の上にでっかいバツの描かれたTシャツを着てくるのではないか……。そういえばわたしは以前、大学の友人と連れションをした際、「チャックを下ろし始めるのが早すぎる」と言われたことがある。そんなわたしだから、彼女とは気が合うかもしれない。

カフェでハンコを押す男
カフェに行くと、一人の男性が神妙な面持ちでテーブルに座り、何かの書類を見つめていた。その手にはハンコがある。彼がどんな契約をしようとしているのかはわかりかねるが、その神妙さから重大さは想像できる。「はやまるな!」と言いたかった。いや、はやまっているかどうかは不明だ。しかし、契約させる側の視点に立てば、「カフェでハンコを押させよう」というのは、「はやまらせよう」ということである。冷静になってもらいたい、糖分をとってリラックスしてもらいたい、「あちらからです」形式でケーキでもごちそうしたい、いろんな思いが頭をよぎったが、急にどうでもよくなって見るのをやめた。

押忍
混雑した電車に乗った。奥には行けず、入り口にとどまることになり、男性二人組の隣でつり革を握った。二人組の一人は三十代後半くらいで、モデルがかける方じゃない丸メガネをかけ、ウィンドブレーカーに身を包んでいる。もう一人はどこからどう見ても、現役の応援団員だった。会話の内容から、前者が応援部のOBで、後者が現役の部員だとわかった。OBはしっかりとつり革を握っているが、現役は後ろで手を組み、直立不動の姿勢をとっている。「いや、やっぱりさ、合宿っていうのは大事なんだよ」「押忍」「ある種日常生活とはかけ離れてるわけじゃん」「押忍」「24時間リーダー部である、ってこと?そんなの普段ではありえないじゃん」「押忍」「だから体力というよりはむしろさ」「押忍」「精神力をさ」「押忍」「鍛える機会なんだよね」「押忍」「なんか質問ある?」「押忍」……。周囲は平然としていたが、わたしは必死で堪えていた。だんだんと「押忍」のグルーヴが高まっていくさまを感じながら、わたしはなんとか冷静さを保つためにつり革を強く握った。「なんかあったらさ、またLINEしてよ」「押忍」ひょっとしてLINEの返事も押忍なのだろうか?それが頭をよぎった瞬間、電車のドアが大きく開き、新宿駅に大勢の客が放たれた。そのなかにはわたしと、その部員がいた。

逃走中
公園で休憩をしているときのこと。ある気さくなお婆さんが、園内で遊んでいた小学生男子のグループに声をかけていた。どうやらそのお婆さんは、男子たちと面識がないらしい。気さくに話しかけてくれるありがたさは承知しながらも、彼らはやはり、自分たちだけで自由に遊びたかったのだろう。ゆるい鬼ごっこの最中だった彼らは、お婆さんから自然に距離を置くことを、その遊びのなかに混ぜ始めた。結果的に、お婆さんが鬼の役割を担う形になっていった。お婆さんはサングラスをかけていたので、はたから見るとテレビ番組「逃走中」のようだった。サングラスで見えないものの、お婆さんのやさしい目が想像できた。わたしはお茶を飲んだ。

次回の更新は11月9日(土)です。

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