琵琶湖旅情編(終)「帰るまでが旅」

〜前回までのまとめ〜
就職前の「卒業旅行」として、5月27日から29日まで琵琶湖周辺を旅することになったわたし。好天に恵まれた初日は山の上から琵琶湖を眺望したあと、翻訳家・村井理子さんのお宅にお邪魔して愛犬・ハリー君と遊んだりご一家と焼肉を食べたりして楽しんだ。しかし二日目は雨。気持ちを切り替えて屋内施設を目一杯楽しむことにした。回転寿司を食べ、ホテルで晩酌し、夜の琵琶湖を眺めて最後の夜を楽しんだあと、わたしは最終日の好天を祈って眠りにつくのだった。

5月29日(水)
シティビューの窓を開けると、大津の街には青空が広がっていた。旅の最終日を祝うような、もしくはわたしとの別れを惜しむような、なんとでも言えるような気持ちのいい天気であった。

二晩世話になったホテルをチェックアウトし、外へ出る。横断歩道を渡り、湖畔の公園に入ったあと、振り返ってホテルを見る。初日は単なる一ホテルだったこの建物に、わたしは「家」に似た親しみを覚えていた。家から出て家に帰るのが旅であるが、旅は「家」を増やす行為なのかもしれない、とふと思った。

空と同じ青の琵琶湖を眺めながら、わたしは「三井寺力餅本家」の場所をGoogle検索していた。「朝食に餅」という普段なら絶対とらない選択肢が、旅だと自然に浮上してくる。

湖畔に停泊する遊覧船のそばを通り過ぎ、路面に走る京阪電車の線路を横断して、三井寺力餅本家にたどり着いた。店に入ると、シティビューの席を案内された。庭を眺める席に喫煙中の客がいるから、という理由の配慮だった。

しばらくすると、餅が運ばれてきた。団子のように三個ずつ串刺しにされたものが三本、その上に景気よくきな粉が振りかけられている。一口食べる。うまい。最小限の味が柔らかい食感を際立たせていた。餅を飲み込んだあと、その余韻を追いかけるようにお茶を飲む。ほとんど無心になって餅→茶→餅のループを繰り返していると、あるものが目に入った。反町隆史のサインである。

反町のサインに見守られながら餅を食べ進めていると、庭の席から客が出てきた。ワンオペで忙しそうに働く店員の様子をじっくり眺め、すこしの隙ができたその瞬間に、わたしは席の移動を申し出た。

店を出て、また湖畔に向かった。これから大津港で遊覧船「ミシガン」に乗るのだ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思わせるBGMが爆音で鳴り響く出発ラウンジで、前夜ホテルで見つけた割引券を提示してチケットを買った。

ぼーっと琵琶湖を眺めながら出発時刻を待ったあと、いよいよ乗船だ。ジャングルクルーズ的なテンションのお兄さんお姉さんのアナウンスを聞きながら、わたしはスカイデッキ、つまり屋上を目指した。

屋上に着くとみるみる雲が移動し、日光が直射してきた。お兄さんお姉さんが「今日はいい天気です」「スカイデッキがおすすめ」などとアナウンスするも、日焼けを気にしてか上がってくる客は少ない。しかし、わたしは臆さない。旅のあいだ遠慮なく食べてすでに太っているのに、日焼けまでして黒くなったらわたしのチャーシュー性が跳ね上がってしまうが、それでも臆さなかった。わたしはこの街の日差しを、身体に記憶させたかったのだろうか。

チャーシューのことを考えていると、船が出港した。パドルが湖に打ち付けられる音がだんだんと大きくなり、そのテンポが上がっていく。これからミシガンは、におの浜観光港、柳が崎湖畔公園港を巡り、出発地点である大津港に戻る。約80分の、旅を締めくくるクルーズがいまはじまった。

湖畔の街を眺める。視界をさえぎるものはなにもなく、三井寺力餅も、泊まったホテルも見える。そして姿形ははっきりしないものの、佐川美術館やピエリ守山はあの辺、びわ湖バレイはあの辺、村井さんのお宅やハリー君と遊んだ浜はあの辺と、遠くから思いを馳せることもできる。わたしはこの三日間を振り返りながら、最終日にこの眺望を誇る船に乗るという自分の選択を賛美した。同時に、「琵琶湖は甲子園球場17,000個ぶんの面積」と喧伝するミシガンのパンフレットを読みながら、単位が東京ドームではないことに旅情を感じていた。

そうやって屋上で景色を楽しんだり、船内でお兄さんお姉さんの歌謡ショーを楽しんだりしているうちに、もう大津港は目と鼻の先であった。赤く巨大なパドルの、すっかり遅くなった回転が、旅の終わりを告げていた。

ミシガンを降りたあと、先程三井寺力餅からの移動中に目ざとく目星をつけておいた、あるステーキ屋に行った。観光客らしく近江牛ステーキランチをクレジットカードで支払い、来月末の支払い額に怯えていると、iPhoneの電池の残量が目に入った。旅の間ずっとTwitterで画像や映像をアップしていたため、かなり減っていた。わたしにはその残量が、旅の残り時間のように思えた。

わたしはこの旅を、三井寺で締めくくることにした。ステーキ屋からはタクシーで10分くらいであったが、なんとなく、なるべく効率の悪い移動がしたくて徒歩で行くことにした。

「修行」のバイブスがあふれる段数の階段を上って、三井寺の観音堂にたどり着いた。そこからさらに上ると、展望台から琵琶湖が一望できた。何度「一望」すれば気が済むのか自分でもわからないほどだったが、旅の記憶が更新されるごとに、わたしから見える琵琶湖はその姿を変えているのだ。

ほどよく観光地化された境内と、あまりされていない本気の説法が書かれたいくつかの看板を楽しんでいると、日が傾いてきた。iPhoneの電池も限界である。自由な一人旅では、旅の終わりも自分で決められる。しかし、終わりを自分で決めるには、そこそこの勇気が必要だ。わたしは太陽とiPhoneに後押しされ、いまから東京に帰ることにした。

三井寺から大津駅に向かうとき、すこしだけ遠回りした。最後に琵琶湖と向き合おうと思ったのだ。相変わらず琵琶湖は雄大で、堂々としていて、「水源は任しとき」とでも言いたげだった。

ミシガンが今日最後のクルーズに出ている。釣り人が静かに釣り糸を垂らしている。夕日とまでは言えないような、すこしだけオレンジがかった日光が琵琶湖を照らしている。まだ帰りたくない、と正直思った。しかし、帰らねば旅は完成しないのだ。わたしは「また来るよ」と心のなかでつぶやき、琵琶湖に背を向け、この旅を終えた。

「琵琶湖旅情編」は今回で最終回です。
次回(7月6日更新予定)からは通常営業に戻ります。

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