羽根つき餃子が刺さる話

ちょうど一週間後の4月1日、「平成」の次の新元号が発表される。(天皇やカレンダー以外には)何も変わらないのに、日本全国隅から隅まで、一様に空気が入れ替わるかのような期待をしてしまう。もちろん、5月1日になった途端に、この国に山積みとなった問題が解決されるわけではない。

大の大人がよってたかって元号を変えることが許されるなら、一人の大人(わたし)がよってたからずにことわざを作ってもいいはずである。今日わたしが提唱したいのは、「羽根つき餃子の上あご刺さり」だ。

先日、冷凍の羽根つき餃子を調理する機会があった。

昨今の冷凍餃子は大きな進歩を遂げており、水や油を使わずに、パリパリの羽根のついた餃子を作ることができる。パッケージ裏面の説明書をしっかりと読み込み、餃子くらい適当に作ればいいのに、こんなことだからすぐノイローゼになるんだと自己分析をこなしながら、わたしは完璧な羽根つき餃子を完成させた。説明書を読み込んだ甲斐もあって、視界の端に「※調理例」の文字が浮かび上がるくらいの、パッケージ写真のような出来栄えであった。

餃子、白飯、味噌汁の三者が無印で買った木のお盆に並んでいる。あまりにも完璧な「餃子定食」の見た目に満足しながら、わたしは箸を進めた。すると突然、上あごに違和感を覚えた。何かが「ぐに」っと口内の肉に食い込んのだ。そう、餃子のパリパリの羽根が、食事を楽しむわたしの上あごに刺さったのであった。

ためしに「羽根つき餃子 冷凍」で画像検索していただきたい。何種類かの商品パッケージが出てくるが、どれも「羽根つき」を高らかに、商品の長所として謳い上げているのがわかる。つまり「羽根つき」は、「よかれ」の産物なのだ。

よかれと思って、消費者に喜んでもらおうと思って、商品の長所にしようと思って、冷凍食品メーカーの研究員が苦労に苦労を重ねて羽根をつけたのだ。うまく羽根がつかない日がつづいただろう。もう羽根のことなんて考えるのをやめて、田舎に帰って見合いをして家業を継ごうと思った研究員もいただろう。いつも羽根のことを考えていたせいで、「家族と羽根とどっちが大事なの」と妻に家を出ていかれた研究員もいたことだろう。そんな辛く厳しい日々を乗り越えた先にあったものが、あのパリパリの羽根なのだ。

なのに羽根は刺さる。慎ましい餃子好きの上あごに、「無慈悲」ともいえる鋭さで刺さる。消費者も、研究員も、出ていった妻も、誰もそんなことは望んでいないのに、それでも羽根は刺さるのだ。

そこで新ことわざ「羽根つき餃子の上あご刺さり」を提唱したい。よかれと思ってやったことが、結果的に相手を傷つけてしまうという意味である。冷凍食品に限った話ではない。店で作ろうと家で作ろうと、刺さるときは刺さる。

かつて作った羽根つき餃子を胸に抱えながら、そして今後も作りつづけながら、人は生きていく。愛情表現で言った「愛してる」が、結果的に相手を傷つけることもあるだろう。「愛してる」という羽根にも、言ったあなたにも罪はない。ただ、相手の上あごに合わなかっただけなのだ。

「最初から羽根などつけなければ」と悔やむのは、いつだって人を傷つけたあとだ。それでもわたしたちは、餃子に羽根をつけてしまう生き物なのだろう。

次回の更新は3月26日火曜日、正午です。
(4/1~4/5は春季休暇をいただきます)


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