果たされなかった約束の話

あまり短くない人生のなかで、どれだけの約束を破ってきたのだろうか。「今度飲みに行きましょう」程度の軽いものから、「病床の君のためにホームランを打つよ」程度の重いものまで、あらゆる約束を破ってきたように思う。いや、重い方の例は他人の記憶かもしれない。

当然ではあるが、最初から破ろうと思って約束したのではない。そのときには本気だ。本気で「今度飲みに行きたい」と思っているからそう言うのだ。社交辞令ではそんなことは言わないし、もし自分が気乗りしない相手に誘われたときは、「まあまあまあ」とつぶやきながら笑って茶を濁すだけだ。

ただ、「飲みに行こう」以上にわたしの胸を締め付けるのは、「またね」である。

あれが最後の「またね」だったのか。そう気づくのはいつも、もう会えなくなってからだ。歳を重ねれば重ねるほど、果たされなかった「またね」は積み上がり、ぜったいに減ることがない。

『わたしを離さないで(原題: Never Let Me Go)』という小説がある。ノーベル賞作家であるカズオ・イシグロの作品だ。作中、全寮制の学校の生徒たちの間で、「ノーフォーク」という伝説が広まる(以下、早川書房刊・土屋政雄訳に基づく)。

地理を教えるエミリ先生は、イギリスに実在する地域であるノーフォークのことを、「ロストコーナー(忘れられた土地)」と表現する。ある生徒にはこれが、遺失物保管所のことに聞こえた。なぜなら学校の四階に、「ロストコーナー(遺失物置き場)」と呼ばれる場所があったからだ。授業のあと、生徒たちの間で「イギリスの遺失物保管所」というジョークが流行する。そのジョークによれば、国中の落とし物はすべて、ノーフォークに行き着くのだ。

わたしはときどき空想する。このノーフォークのように、国中どころではない、世界中の「果たされなかった約束」が集まる場所がどこかにあることを。そこに漂着した約束たちは、一つのもれなく果たされる。今度飲みに行くし、ホームランは場外に飛ぶし、一生好きでいるし、また会うのだ。

『わたしを離さないで』の主人公キャシーは、過去に紛失したあるものを探しにノーフォークの町をさまよう。わたしも「約束のノーフォーク」をさまよいたいが、その願いと同じ強さで、そんな場所が存在しないことも知ってしまっている。

次回の更新は2月15日金曜日、正午です。

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