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別れの小数の話

「ああ、あれが最後だったのかな」ということばかりだ。人と別れるとき、それが最後だと理解しながら別れたことがほとんどない。また会えるだろうなと思っていたら、その可能性が静かに、だが確実に失われていくのだ。

H君という友達がいた。わたしが三年生のとき、限界集落ではないが十分閉鎖的なわが町に、田んぼを潰して住宅地が造成された。クラスは突如、転入生の話題で色めき立った。そこに現れたのがH君とT君という普通の男子だった。「転入生」の三文字に必要以上に胸を躍らせていた一部のませた勢力は、現実が漫画ではないことを知った。

小学生は、とにかく人の家に生きたがる生き物だ。「掃除してないからいやがられるかも……」や「複雑な事情があるかも……」といった、「かもしれない遠慮」をしない。だからクラスの男子にとって彼らの転入は、彼らの家というプレイスポットのオープンを意味した。「なあ、今日家行っていい?」と誰かが言いだしたのは、もしかすると転入初日だったかもしれない。

はじめの頃はコンビのように扱われていたH君とT君であるが、次第にピンの活動が増えた。というより、周りが彼らを個人として認識しだした。「転入生」というタスキも薄くなった。そのあたりからだろうか。わたしはH君を、とくに仲のいい友人として意識しだした。お互いの家を行き来したし、二人きりで遊ぶことも多かった。

転入から何ヶ月かした、参観日の次の日だったかもしれない。「H君のお母さん、すね毛剃ってないよな」と、ひとりの男子が半笑いで言った。当時の男子たちの成熟度を考えれば「お笑い」の範疇である。当時「いぼ痔!」と叫ぶのが流行していたという事実からも、我ら男子たちのレベルの低さがうかがえる。

その輪の中に、H君本人もいた。さすが「いぼ痔!」の連中なだけある。H君は「やめてーやー」的なことを笑いながら言って場を収めていたが、内心は傷ついていたはずだ。笑っているのは楽しいからではなく、冗談にしないとつらいからである。真顔で取り組むと心が砕けてしまうからである。「さすがにそれはあかんやろ」という勇気もなく、しかしH君に対して同情を覚えていた当時のわたしは、笑わないことで異議を唱えるしかなかった。転入生というキラキラした存在だった彼が、いつの間にか「いじられキャラ」になっていた。わたしにはそれが悲しかった。

それからも友達付き合いは順調につづき、H君も含め、クラスのほぼ全員が町立の中学に進んだ。男子たちはとくに成長せず、さすがに「いぼ痔」では笑わなくなったが、品の無さは変わらなかった。H君との関係もそのままで、変わったことといえば服装が私服から制服のジャージに変わったこと、遊び場にテレビゲームだけでなく、ある種のビデオが導入されたことくらいだった。

学年が進み、三年生になった。「ぼくたちは同じではない」ということに気づく大きな機会の一つが、受験である。本人の学力や親の財力が目に痛いほど明らかになる。わたしとH君は違う高校に行くことになった。この時点で、二人の別れは内定したのだ。

しかしわたしとH君はとくにそれを口に出すこともなく、むしろその話題を避けるように遊んだ。ある種のビデオの存在は大きくなり、彼は自分と遊びたいのではなく、ビデオが見たいだけなのではないかと疑心暗鬼に陥ったりもした。受験が近づき、現実が、競争が目の前に迫ってくるにつれて、彼と遊ぶ機会も減っていった。そしていつの間にか卒業式を迎え、クラスメイトでなかったわたしたちはその日一度も会わずに、別々に校門を出た。それ以来彼とは、一度も会っていない。

そんなものだ、といまは思う。はい、これでお別れね、二度と会わないね、これでもう0ね、というほうが不自然なのだと思う。いや、SNSにおいてつながりは0か1で表されるが、現実はもっと曖昧で、その間の小数が無限にあるのだ。

H君とのつながりはたぶん、0.03くらいだろう。わたしの周りにはいまも、無数の小数が衛星のように舞っている。

次回の更新は6月27日(土)です。



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