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なじみの店をつくれない話

村田沙耶香「清潔な結婚」のなかにつぎの一節がある。

「(前略)私も、恋愛の初期段階ではいいのですが、だんだんと付き合いが長くなり、半同棲のような状態になると、眠っていていきなり相手の手がのびてきたり、何かのきっかけで、のんびりくつろいでいたのにいきなり相手の手つきが性的になったりすることが、つらいんです。(後略)」

「清潔」な結婚、つまり家庭に一切の「性」を持ち込まない夫婦の物語である。昼間の洋食屋でこの小説を読んでいたわたしは、なかば運命的に自分の宿痾に気づかされた。そうだった。わたしはなじみの店をつくれないのだった。

わたしはいま、山手線のほぼ沿線に住んでいる。だから食べるにしろ買うにしろ、店の選択肢は無数にある。それでも、ケチな独り身にやさしいところは限られてくるから、いくつかのスポットをローテーションすることになる。そしてその「ローテーション」の回転速度は、「なじみになる」を決して超えない。

なじみの一つに、あるつけめん屋がある。客足が常に一定数あり、入店しても目立たないから好都合なのだが、ひとつ問題がある。リーダーらしきひとりの店員の出勤シフトとわたしの入店サイクルが、やたらとかぶるのである。店に入ったら彼がいた、というのはまだましなほうで、店に入って彼がいなくて安心したら、スープ割を頼むか頼まないかの段階で彼が「おつかれさまでーす」と入店することもしばしばである。

誤解のないように言っておくが、わたしは彼が好きなのだ。無駄のない動き、ハキハキとした声、そして厨房をやわらかくする適度な軽口。ああいうふうに働きたい!と憧れすら抱いているが、わたしは彼と距離を置きたい。去り際の「毎度!」が社交辞令であることを、わたしは心から願っている。

もちろん「清潔な結婚」ほどの切実さはないが、わたしは店員と客のある種クールな関係を愛する者である。その店の商品やサービスが気に入ったから、金を出す。金を出されたぶん職務として、接客する。それでいい。それ以外いらない。すべての仕事は演技であるから、マスクの下に笑顔はいらない。

昼間の洋食屋でわたしは、オムライスの後半に差しかかっていた。もしなじみになってしまったら、その店と別れるときに意味が出てしまう。単に商品に飽きただけなのに、店員をむげに傷つけてしまう。「ランチ開始!○○で30年間営業していた△△がランチのみ復活!」的な張り紙が見える。知っている。だからわたしはここに来ている。△△の閉店を何年もさみしがってきた。復活後も何度も足を運んでいる。ただし、ある速度は超えないように。

「これ他にお客さんいないんで……お気持ちです」

突然だった。マスターがわたしに近づき、テーブルになにかを置いた。何十年も鉄のフライパンを振ってきたからなのか、細身のわりに腕が太いことに気づく。味噌汁だ。まだ注ぎたてで渦をつくる汁のなかに、細切りの大根がただよっている。

「ありがとうございます」わたしは客として礼を言う。一口飲む。そっと背中をなでるような薄味は、洋食の濃い味にぴったりだ。以前から常連だったことを告げようかどうか、わたしは迷う。告げればマスターが喜ぶことはわかっている。わたしは迷う。味噌汁は減る。体に熱が広がるなか、わたしはひとり座っている。

次回の更新は11月28日(土曜日)です。

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