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ちゃんぎりから逃げた話

夏が来れば思い出すことがある。遥かな尾瀬でも遠い空でもない。ちゃんぎりだ。わたしはあの夏、ちゃんぎりから逃げたのだ。

「ちゃんぎり」は「クラムボン」的なものではない。「金属製の円蓋(えんがい)状の鉦。直径約一〇センチメートル。先端に球状の鹿の角のついたばちで、するように打って鳴らす。下座音楽や祭礼囃子に用いる。」と日本国語大辞典にあるように、実在の楽器だ。わたしはあの夏、ちゃんぎりを置いて公民館から逃げた。

わたしの地元は田舎だ。しかも海辺の、「資本」が作ったのではない本物の田舎だ。だから当然地元の祭りがあり、一定の年齢に達した男児は、その祭りのキャストとなることが求められた。

ある晩わたしは、ちゃんぎりの初回練習のために公民館的な建物に呼ばれた。友達の家の近くにあったが、用途が全く不明だった木造の平屋だ。ああ、この建物にはこういう機能があったのか。そう感慨にふける暇もないまま、わたしは一定の年齢に達した男児の一員として、個性を認められずに座布団に座らされ、小さめのティーカップを金属で作ったようなそれを渡された。二枚一組。なんと、両手で持って音を奏でろというのだ。

海辺のこの町では、子どもは皆「浜っ子」であることが求められる。元気いっぱいに外で遊び、行事には積極的に参加し、地元のバイブスを体現する、それが「浜っ子」である。小学校では「浜っ子体操」というオリジナルの体操が提唱され、子どもたちは始業式、終業式、運動会とあらゆる機会でそれを踊り、浜っ子思想を肉体で吸収する。学年の男子で唯一「スポーツ少年団(スポ少)」に所属せず、家でセガサターンのコントローラーを握っていたわたしがどういう心理状態だったか、それは言わずとも伝わるだろう。

「じゃあ基本シャンシャンシャンで、五回に一回はチー入れよか」
おそらくそれくらいの曖昧さだったと思う。権力の源泉がわからないおっちゃんがそう指示すると、わたしを含む男児たちが粛々とリズムを奏でる。別に難しくはない。しかし、まったく面白くない。見れば周りの男児たちの目は死んでいる。いや、それでもどこか、「今日から俺も一人前の男や!」みたいな、「これで俺もこの町の一員や!」みたいな、覚醒ゆえの虚無があった。死んでいるというよりは、大きなものに乗っ取られているような目だった。

わたしはすこし、恐ろしくなった。このままここで「シャンシャンチー」を繰り返していると、そのうち自分も「一部」になってしまうのではないか。何かの一部になりたくなかった。わたしはわたしの全部でいたかった。いくら不健康でも、いくら浜っ子らしくなくても、家でゲームをしているのが本当の自分だった。

「じゃあ、休憩にしよか。トイレはあっちの奥にあるから」
そう言われてトイレに入り、便器というよりは壁というべき物体に向かって性器を露出したとき、わたしは自分の肉体がわたしの支配下にあることに安堵した。そして片方の管から水分を排出しながら、もうここには来るまいと決心したのだった。

「まあ、森さんにそう言われたらしゃあないな」
あのおっちゃんはそう漏らしたのかもしれない。わたしは地元の名士(神主)である祖父にロビーイングを依頼し、ちゃんぎりとの縁をばっさりと切った。小学生ながら、行くふりをしてサボるという手段をとらなかった自分を褒めたい。さらに、この頃からすでに「政治」という力学を意識していたこと、集団に染まらずに個人の意志で思考したこと、それも含めて偉いと言いたい。

しかしわたしは浜っ子になれなかった。家の政治力に守られながら、異物として生きていくしかなかった。ただ、両親の離婚をきっかけに引っ越して以来、その町との縁は普通に切れている。

次回の更新は8月8日(土曜日)です。


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