幽霊に会いたい話

目覚めたら枕元に老婆の幽霊が立っていた、という怪談がたまにあるが、我が家でこれは起こり得ない。ロフトベッドだからだ。どうしても枕元に立ちたいのなら、ロフトベッドの頭側に脚立を設置するか、足側にあるはしごをそろーりそろりと登ってこないといけない。いや、幽霊なのだから「浮く」という荒業も使えるのだろうけど、わたしの顔が見え、かつ天井に頭をぶつけない高さを維持しつつ、わたしが目覚めるまでホバリングをしつづけるその姿には、恐怖よりむしろ愛着を覚えるだろう。

人生で一度だけ、わたしは老婆の幽霊に出会いたいと思ったことがある。その老婆とは父方の祖母である。ちなみに当時は普通のベッドだったから、ホバリングなど不要だった。

祖母はわたしが中学生のときに亡くなった。急死、と呼べるほどに唐突だった。ある日の夜中、祖父母の住む方の家が急に騒がしくなり、そして深夜だか翌朝だかに、わたしは祖母の死を知った。わたしは病院には行かなかった。そして、その夜わたしが眠れたのかどうか、はっきりとは覚えていない。

身内が亡くなるという経験自体が初めてだったこともあり、わたしは徹底的に打ちのめされた。日光がいつもより眩しい気がした。最後に優しい言葉をかけていたかどうか自信がなかった。そして通夜だか葬儀だかが終わった夜に、わたしはあることしようと決意したのだ。

やることは単純だ。自室の本棚に水の入ったグラスを置く。一晩経ってそれが減っていれば、祖母が来たことにする。いま考えると正気を疑ってしまうが、当時は中学生なりに本気だったはずだ。わたしは台所でちょうどいいグラスを見つけ、水道水を七割ほど入れて本棚に設置した。そして、何かが起こることを期待して、ぐっすりと寝た。

そして次の日。金縛りに遭うことも祖母が枕元に立つこともなく、まったく普通に朝を迎えた。当然、グラスの水は減っていない。わたしは心底がっかりして、そのホコリまみれの水をシンクに流した。そして学校に行き、帰りに墓に寄った。

「怪談」という娯楽はいまでも人気がある。人気の「怪談師」たちはその話術を携え全国を周っている。一般人がYoutubeで怪談を披露したりもしている。大の大人が、である。2020年に、である。ではなぜ、大の大人が2020年にもなって怪談に魅了されるのか。それは怪談がある種の祈りだからだ。

人は、亡くなってしまった人に会いたいと思う。人は、現実で果たせなかった復讐をあの世で果たしたいと思う。それが不可能だと知りながら、その思いを捨てられないでいる。だからこそ怪談は、というか幽霊は、メディア環境の劇的な変化にも耐えぬき、いまやSiriやAmazon Echoにも取り憑いている。

「人間が幽霊を怖がるのは、彼らが人間の本質を表すからだ」映画監督・黒沢清の言葉である。この至言に少しだけ付け加えるとするならば、「怖がる」ことそれ自体も人間の本質を表している。

祖母の死から18年ほどが経ったが、いまだに彼女の幽霊には出会えていない。いや、彼女はお茶目な人だったから、なんでもないときに、「なんでいま?」というときに、唐突に出てくるかもしれない。わたしはそれが99.9%ありえないとわかりつつ、0.1%の期待をしてしまうのである。

次回の更新は2月29日(土曜日)です。




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