お台場の話

お台場に行くと寂しくなる。

お台場は、いつも曇っているか、日が暮れかけているか、小雨が降っているイメージがある。友人の結婚式でホテル日航東京(現・グランドニッコー東京)に、女性とのデートで科学未来館に、会社の仕事でトイザらスに、一人ライブを観にZepp Tokyoに。硬軟さまざまな用事があったが、思い出の比率としては酸1:甘9くらいだろうか。レモンスカッシュなら甘すぎるくらいなのに、お台場の思い出はなぜか寂しい。

『フジテレビはなぜ凋落したのか』という本を読んだ。80年代にメディアの王者であったフジテレビが、いかにして「凋落」したのかを同社の元社員が綴った新書である。

フジテレビの新社屋が竣工されたとき、わたしは三重県の片隅でテレビばかり観ている、非常に扱いづらい小学生だった。前日観たテレビのギャグをそのまま披露する同級生を横目で見ては、「お笑いにとって最も大切であるプライドとオリジナリティが欠けている」などと脳内で評論するいけ好かない子どもだった。わたしは両親相手にソフトネゴ(楽勝だった)を仕掛け、家族でのお台場旅行を勝ち取った。
『めちゃイケ』がよく撮影をしていた広場で写真を撮り、局内の売店で『踊る大捜査線』グッズを買い、球体展望室で都心部を眺め、社屋の外でプライベートの西山喜久恵アナを見かけたわたしは有頂天だった。おそらく、「いつかフジテレビで働いたるんや!」と、強めの伊勢弁で心に誓ったことだろう。

それから時が過ぎ、2006年に都内の大学に入学、2010年に玩具メーカーに入社した。わたしが大人になればなるほど、フジテレビは元気を失っていった。

お台場に寂しさを感じるようになったのは、フジテレビだけのせいではないと思う。自分自身が東京の生活に慣れていったこと、中間層の消費が冷え込んでいったこと、お台場が埋立地で計画的再開発の産物であるがゆえに、栄えていたころの人間の意思がはっきりと目に見えること。それらが複合的に作用して、お台場を寂しくしているのだと思う。

今後、寂しさを感じたいときは、夕暮れのゆりかもめの車窓から、船の科学館の錆びた「宗谷」を見ようと思う。あれ以上に寂しい光景を、東京で見たことがない。

次回の更新は10月29日月曜日、正午です。


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