美しすぎる夕焼けの話

昨日、中央線に乗った。中央線は好きではない。乗ると寂しくなるからだ。その原因が車両の混み具合なのか、車窓から見える景色なのか、それとも意識できないなにかなのか、特定ができない。それでも、どんなときだって、昨日のように「井の頭自然文化園のモルモットふれあいコーナーに行く」という愉快な用事のときだって、中央線に乗ると百パーセント寂しくなる。そういうものだ、ということにしておく。

モルモットとふれあったり、いい感じの帯が巻かれた古本を買ったりして帰路に着く頃には、もう空の色は青から橙に移ろうとしていた。夕焼けは、死にたくなるほど美しかった。

「死にたくなるほど美しい夕焼け」を初めて見たのは、おそらく中学二年生のときだったと思う。当時わたしは、学校の階段から転落して骨折し、二週間の入院生活を余儀なくされていた。自分のべッドの上から、ドアのない病室の外、廊下の突き当りにある大きな窓が見えた。わたしはその窓の向こうで日が沈んでいくさまを、来る日も来る日も眺めていた。目と胸に突き刺さるような西日だった。

なぜ、美しいものを見て死にたくなるのだろうか。それはきっと、「死にたい」という感情の裏に「家に帰りたい」があるからだ。この場合の「家」は物理的な家というだけでなく、親しい人たちのもと、もしくは自分が安心感を抱ける場所ということでもあるはずだ。

そう考えると、入院中に見た夕焼けがなぜあんなに美しかったのかがわかる。昨日見た夕焼けの美しさも、自分が中央線に感じる寂しさと、そこから来る「家に帰りたさ」が理由だと思う。

ではなぜ、夕焼けを見ると家に帰りたくなるのだろうか。おそらく我々の遠い祖先のなかで、「夕焼けを見ても家に帰りたくならず、夜中に狩りを続けた者」が子孫を残せなかったからだと思う。夜の闇のなか、猛獣に襲われたり、登った木から足を踏み外したりしたのだろう。

だから、夕焼けが目に入ったら家に帰るべきだ。残業などしてはいけない。平日は早く家に帰って、休日にはモルモットを愛でよう。

次回の更新は1月25日金曜日、正午です。

励みになります。