餅まきの話

夕食の買い物の帰り、区の掲示板に目が止まった。どこかの施設で、だれかを対象にした豆まきが開催されるらしい。はあ、もう節分か、月日の経過のなんと早いことよ、また全国のコンビニで売れ残った恵方巻きが大量に廃棄されるのだろうな、具材にとっては「恵」でもなんでもないな、などと考えをめぐらせていると、わたしの頭に「餅まき」という言葉が浮かんだ。そうだ、わたしはずっと、「餅まき」でズルをしていたのだ。

地元の神社で、毎年ある時期に餅まきが開催されていた。なにを祝ってまくのか、またはなにを願ってまくのかは当時から知らない。地元住民にとって重要なのは、「行けば餅がもらえる」というお得感と、「まかれる餅を奪い合う」というほのかな"戦闘"感だけだ。信心深いお年寄りたちの心中は測りかねるが、少なくとも小学生当時のわたしと、同級生たちにとってはそういう意義のイベントだった。

ある年の餅まきで、わたしは大敗を喫した。その詳細な戦績は記憶にないが、おそらくは「皆が取りそこねて地に落ちた一個を拾った」くらいのものだったと思う。同級生たちは持ち前の動体視力と反射神経を生かして、わたしの何倍もの数の餅を手にしていた。それどころか、お年寄りたちも2、3個の餅を手にしていたのだ。わたしはその瞬間に、「餅すらつかみ取れないやつ」という烙印を押された気になった。餅すらつかみ取れない者に、どうして幸運や幸福がつかみ取れるだろうか。わたしは自分の将来に絶望して、肩を落としたまま家に帰った。

家に変えると、大量の餅があった。先ほどの餅まきの「優勝者」ですら、これほどの数の餅は手にしていない。それにわたし以外に、家族の誰も餅まきには参加していない。ではなぜ、こんなに大量の、相当の餅好き一家でなければ持て余すほどの大量の餅がわが家にあるのか。

その答えは簡単だ。わたしの実家が神社なのだ。

あまりにもくだらない叙述トリックを展開してしまったが、そういうことである。わたしはなんの苦労もなく、濡れ手で粟をつかむようにコネで餅をつかんだ。そう、わたしはこの瞬間、人生で初めての「既得権益」を手にしたのだ。二世議員にとっての票田が、わたしにとっての餅である。

餅まきの歴史を考えれば、小学生以前にも同じような状況があったはずだ。しかしこのときになってやっと、これが不正であることを理解できたのだ。

濡れ手でつかむと餅はかびる。餅のように真っ白なわたしの心も、これ以来かびが生えたように荒んでしまった。あんなに必死で奪い合わなくても、家に帰れば餅があるのだ。わたしは努力するのをやめ、ただ家で餅を食う男に成り下がった。他の家庭ではきっと、「きょうどんだけ餅とれたん?」「すごいなー、今日は餅づくしやなあ」といった和やかな会話が繰り広げられていたはずなのにーーー

しかし、わたしはもう自立している。自分の餅は自分で買うのだ。それが大人というものだ。自分の懐を痛めて買った餅は、あの頃の餅よりうまいに違いないのだから……。

次回の更新は1月29日火曜日、正午です。

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