サバンナモンキーの玉袋の話

「母の日」の「ひ」と「は」を入れ替えると「ヒヒの歯」だなあ、などと考えている。そして画像検索したい気持ちを必死で抑え、精一杯ヒヒの歯を思い浮かべようと奮闘するのだが、湧き出てくるのはなぜかサバンナモンキーの青い玉袋である。自分の頭の中で、「ヒヒの歯」と「サバンナモンキーの玉袋」が同じフォルダにあることがわかった。わかったところでどうしようもないが、わかったのは事実なのである。

皆様においては心置きなく画像検索をしていただきたいが、サバンナモンキーの玉袋は青い。なぜこんなに青い必要があるのかと思うほどの、スコーンと突き抜けるようなスカイブルーである。この世に創造主と言うべき存在がいて、彼or彼女が森羅万象すべてを創造したとするならば、なんであんなに青くしたのかがわからない。土に使いすぎて茶色の色鉛筆がなくなって、仕方なく水色を使ったとしか思えない。替えを買いに行けばいいのにとは思うが、当時もなぜか世界中の文具店が閉まっていたのかもしれない。

「え、おれの金玉コレすか!?」彼は当然憤っただろう。わたしがいま気になっているのは、彼のその真っ当な怒りに対して、創造主がなにを言って気を落ち着かせたのか、ということだ。「青空みたいだよ」と言っても、金玉が青空みたいである必要はない。「幻冬舎文庫の背表紙みたいだよ」と言っても、金玉が幻冬舎文庫である必要はないのである。納得のいく説明をされないまま、彼は幻冬舎文庫をぶらさげて生きるしかなかったのである。

『世界大百科事典』のサバンナモンキーの項に、こんな記述がある。

優位な雄は赤い肛門の周辺部,青い陰囊,その間の白い線を雌に誇示するように見せ,独特のディスプレーを行う。

わたしはこれを読むと、「誇示」に至るまでの彼の苦悩を想像してしまう。幼い頃から他の猿に「青空金玉」とバカにされ、初対面の相手に顔ではなく玉袋を見られ、一部からは「アオキン」と呼ばれた彼は、その怒りを晩飯中に両親にぶつけたりもした。「なんでこんな金玉に生んだんだよ!」と家族に怒鳴ったとき、父は泣きながら彼を殴った。彼は思わず家を飛び出し、誰にも会わないところで寝た。目を覚ますと彼の視界には雲ひとつない青空が広がっていた。「うわ、きれいだな」と驚いていると青空がぶらぶらと揺れだした。それは一晩中彼を探し回っていた父の玉袋だった。金玉が青空みたいでなにが悪いと、彼は思った。

こうして「サバンナモンキーの玉袋」は、「五月晴れ」と同じフォルダに移動した。

次回の更新は5月9日(土曜日)です。

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