すねた先生を迎えに行く話

「ちょっとうるさいな。職員室で待っとるから、静かになったら呼びに来てな」
そう言ってF先生は教室を出ていった。白いワイシャツもグレーのスラックスもぶかぶかだった。残された生徒たちは、突如としてこの空間に「自治」が生まれたことに戸惑いを隠せずにいた。

おそらく高1か高2の夏休みのことだった。進学校であるわがI高校では、毎年夏期講習なるものを行っており、学力向上を目指す生徒が自主的に参加することになっていた。わたしは苦手意識のあった古典の授業を選択した。その担当がF先生だったのだ。

それまでF先生の授業を受けたことはなかった。だから彼のイメージはあくまで又聞きによるものでしかなく、それゆえにわたしは、とりあえずそう思っておけば損はない、想像力のゆるい敗北のような印象を彼に抱いていた。つまり、「なんかやさしそう」である。

その「なんかやさしそう」なF先生が、授業時間になっても雑談をやめない生徒たちに辛抱できなくなり、冒頭の台詞を放ったのだった。もちろん、分があるのはF先生のほうだ。百パーセントと言ってもいい。十代のわたしにもそのことは承知していたが、それでもとっさに出た感想は、「めんどくせえ」だった。

この「迎えさせ」は、何重にもめんどくささをはらんでいた。第一に、自分たちが動かねばならない。ただ説教されるのであればだまって座っていればいいが(その間昨日の「バカ殿」でも思い出していればいいが)、「迎えさせ」は自分たちが迎えに行かなくてはいかない。天岩戸に閉じこもった天照大神を誘い出すように、職員室に閉じこもったF先生を教室に呼ばねばならない。ただ、天岩戸のケースのように誰かが「胸乳もあらわに踊り狂」う(世界大百科事典より引用)必要はなく、ただクラスの代表者が「静かになりました」と素面で報告すればいいだけである。余談だが、この学校からI神宮までは車で10分の距離である。

さて、第二のめんどくささは、代表者の選出である。これがクラス単位の授業ならその任務は級長が自動的に負うのだが、いまはクラス混合なのだ。しかも、まだ結成二日目かそこらであり、関係性は確立されていない。F先生はそれを知っていて「迎えさせ」を実行したのだから、鬼としか言いようがない。結局、わたしのクラスのTが自然なリーダーシップを発揮し、「おれが行ってくるわ」と一人教室を出ていった。彼のポロシャツとスラックスは清潔で、サイズもぴったり合っていた。彼は後にJ天堂大に入学し、立派な医者になる。

彼に連れられて戻ってきたF先生は、どことなく晴れやかな表情をしていた。素直に考えれば、クラスが静かになったことが、穿った見方をすれば、見知らぬ者も多いこのクラスに誰がボス猿かをアピールし、場をコントロールできたことがうれしかったのだろう。授業はその後快調に進んだが、わたしは授業の内容を覚えていない。

こうして無事にF先生は戻ってきた。それはよかった。それはよかったのだが、わたしは最近、あることに思い至って震えが止まらないでいる。つまり日本のどこかに、生徒がすっかり忘れてしまったにも関わらず、何年も何年も迎えを待ち続けている先生がいるのではないか、ということだ。

「そういや、F先生って急におらんようになったよな」
わたしは帰省のついでに同窓会に参加し、かつてのクラスメイトと酒を酌み交わしていた。飲酒が合法になってずいぶん経ち、酒の飲み方にも慣れていた。
「そうやな、急に転勤になったんやっけ?」
「いや、でも離任式とかにもおらんかった気するで」
「え、じゃあ、亡くなったん?」
「いやいや、それやったらうちの親も教師やで、連絡来るはずや」
議論が進むにつれ、次第にある一点に収束しはじめる。もはやビールやエイヒレでは抑えきれぬ不穏な空気が、場を飲み込みはじめる。
「そういや夏期講習のときさ……」
誰かがそう言いだしたとき、その場の全員がグラスを置いた。あの夏、F先生の「迎えさせ」にいらだったわたしたちは、Tを先頭に授業を抜け出し、近くの川で水遊びをしたのだった。
わたしたちはすぐに店を飛び出し、本当は飲みたいのにドライバーの任のため飲まないでいた者の運転で母校に走った。昇降口を抜け、真っ暗な職員室に入り、各々のスマホのライトで室内を照らしていると、昔も今も美人であり、なんなら当時好きだったある女子が悲鳴を上げた。
「あ、あれ見て……!」
その指の差す方に、F先生がいた。白いワイシャツもグレーのスラックスもボロボロになっていた。その場の全員が、数十年ぶりの再会の喜びと、幽霊を見たときのような恐怖がまじって絶叫した。
F先生はずっとだまっていた。全員が絶叫をおさえ、いつもの呼吸を取り戻すまで一言も発しなかった。ようやく職員室が静かになると、先生が口を開いた。
「やっと静かになってくれたな」

次回の更新は5月30日(土曜日)です。

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