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深夜の高校に車で向かう話

どこまでも行けるはずがなかった。そもそも他人の車だ。自分の行く先をヘッドライトが照らすが、わたしが行くから光るのか、光るから行くのか、いまいち判別ができない。行きたいところはない。目的地は副詞にすぎない。わたしはやはり、シートをもっと低くすべきだったと後悔する。

思いつきには理由がある。むしろ、理路整然とした行動より思いつきのそれのほうが、理由がより深層にあり容易には霧散しない。だから高校以来時が止まっている部屋でくつろいでいるわたしに、親の車でドライブをしたいと思わせた見えないなにかが、そこに確実に存在していたということになる。それはその部屋の湿度だったかもしれないし、当時抱えていた悩みかもしれないし、本棚のセンターに位置していた、ガムテープで補強された英語の参考書かもしれない。

キーのありかはわかっていた。そこに置く母親の姿を十年近く見ていた。玉虫以上お守り未満、というべきサイズのそれを手にとって玄関に向かい、東京から履いてきた靴を履く。二重のドアロックを二重に締めたときはまだ、わたしは家にいた。解錠し、運転席に乗り込み、エンジンをかけてヘッドライトをつけていく段階で、視界の端で動かない家がすこしずつ遠のいていった。だからアクセルは契機ではなく、後追いの是認に過ぎなかった。

とりあえずなじみの道を走ろう、と常識的な決意をする。「トン」で測るべき物体がわたしの意思だけで動いている恐怖を懐柔するために、ハンドルの10時10分を押し込むようにつかむ。当時はまだ営業部に所属しており、日常的に社用車を乗り回していたから、運転技術には自信があった。下道も首都高も無事故で駆けていたわたしにとって、地元の田舎道は教習所のように平板だ。車は具体的な坂道を上って下り、ヘッドライトで田んぼの境目をなぞっていく。

おれも大人になったな、と初めて思ったときを明確に記憶している。子どもの頃通っていた洋食屋に、高校のとき友達と二人で入ったときだ。定期試験か始業式かで学校が早く終わり、かつて家族と車で行った店に、友達と駅から自転車で向かったのだ。あの店の寡黙な主人は、わたしが来たことに気づいていただろうか。料金は思っていたより高く、車の運転は思っていたより簡単だった。

高校に行って帰ることにした。いまの程度の郷愁には、それがちょうどいい気がした。県道の両側には大型店舗が並ぶが、その後ろの田畑を隠しきれていない。しまむらの虚無のように広い駐車場に、履き残しのように軽自動車が停まっている。時刻は0時を過ぎている。

母校は低い山のなかだ。いつのまにか天に傾いていた県道を弓なりに進み、自分の意志で左折して入山する。山らしい公道をゆっくりと進んでいると、突然に校門が車をはさむ。特異な構造をもつわが母校は、敷地内に公道を通している。校舎と体育館が公道を挟んで立地しており、だからバレー部の活動に向かう生徒が、地元の軽トラを見送ったりもする。

アクセルを踏む足がゆるむ。だが公道なのだから、むしろ止まるほうが迷惑である。わたしはメーターに頼らず感覚で徐行しながら、サファリパークの客のように無人の建物をぐるぐると眺める。わたしはなにかを探しているが、そんなものもともとないのだろう。

次回の更新は1月16日(土曜日)です。

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