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医者と看護師に見栄を張る話

Go to 献血 Eat 中本というキャンペーンが開催中だ。献血に行くと中本のカップ麺がもらえるという、提供した血液を真っ赤なスープで補填しよう的な、豪快であたたかい試みだと思う。「献血」を「献血ルーム」にすれば文法的にも完璧だ。

が、わたしはいくら血を抜かれようと、このカップ麺を手にすることができない。U25が対象だからだ。だからわたしが得られるのは善行を果たしたという事実と満足感、それと体調維持のための飲み物だけだ。

献血の針は太い。ソースにあたらずとも明らかなくらい太い。慣れていない人なら、針じゃなく生のスパゲティを入れられているのか?と感じ、その晩ロールキャベツになった夢を見るかもしれない。複数回献血クラブ「ラブラッド」の会員であるわたしでも全然痛いので、その点はあきらめてほしい。

つい二日前のことだ。わたしは行き慣れた献血ルームの採血場で、歯医者や耳鼻科のような寝椅子に横になりながら、献血者一人ひとりに設置された小型のテレビを眺めていた。「じゃあ、刺しますねー」と言われたわたしは緊張を隠すため、「ジャスコ行ってくるわー」と母に言われたときの「ほい」と同じトーンを目指し、「はい」と答えた。ずずずずず、と針の侵入を感じる。特別に痛い。今日こそはパスタかもしれない。わたしは必死で冷静さを保とうとするが、表情の変化を見た看護師の「ごめんなさい、痛かったですか」というやさしい声がゴングとなり、わたしの意地のKOが決まる。

幼少期からずっと、医者と看護師に対してはいいところを見せたかった。しまだ小児科の嶋田先生に対しても、だ。母親か祖父が隣にいるということもあり、わたしはなるべく気丈にふるまおうとしていた。キンキンに冷えた聴診器が柔らかい腹に当たるのを「冷てえな」と感じながらも、わたしは無表情で「二日前くらいです」などと答えていた。いま考えれば、子どもが親類以外の大人と一対一で対話する機会などめったになかった。だからこそ嶋田先生とタイマンで意思疎通ができているという自信は、わたしの大人の芽をくすぐったのだろう。

そこから歯科、耳鼻科、皮膚科、整形外科、泌尿器科、心療内科、脳神経外科となかなかな数の「科」を制覇していくなかで、わたしは「気丈」の履き違えに気づいた。痛いときは痛いと言えばよかったのだ。つらいとかきついとか苦しいとかやめてほしいとか、もう少し口に出せばよかったのだ。そうすれば多分、後ろから二番目の「科」には通わずに済んだのだ。

「ごめんなさい、痛かったですか」

マスクの上の目が真摯な謝意を表している。謝る必要はない。この方のミスではない。だがハチャメチャに痛かったのも事実だ。子どもなら痛すぎて逆に「無」になりそうだが、わたしは大人だ。だから吸われている血をすこしだけ脳に回し、ふさわしい表現を見つけた。

「いや、献血久しぶりだったんで」

わたしはそば屋で熱燗でも飲みたい気分だったが、献血後の飲酒は避けたほうがよいのだ。

次回の更新は12月19日(土曜日)です。

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